おはようございます。
よく寝ました。ちょうど8時間でした。もうチョット寝ていたいような気もしますが。
夢は見ていたようですが、全く覚えていません。
お天気は、曇りです。


昨日の詩歌、1番のインスピレーションはなかなか良かったと思います。しかし2番3番は、教訓めいて最初の印象を崩しているかもしれませんね。練りに練って創っている訳ではないので、こんな事も起こりますが、何れにしてもその時に置かれている情緒がそうさせているのです。
今朝の目覚めで、降りてきた気持ちは、1番はそのまま歌の詰合せ。けれど、あなたが歌っている姿をを小鳥さんが私に伝えてくれる。描きたかった情景はそこにあったのですが、ちょっとまどろっこしかったな。力不足です。
2番は本の詰合せ、3番は絵画の詰合せとでもして、贈られた人の情緒が浮かび上がるように、すれば良かったかなー。いつかまた閃くことでしょう。何れにしても皮肉や教訓めいた内容より、ほのぼのと人を明るくする歌がいいな。
頭が疲れている時の、言葉紡ぎ、言葉遊びは、ホッと心が解れます。
こんな気持ちにさせてくれたのは、古事記の影響でしょう。先の詩歌の1番の原型は、古事記の中にあった、遠くに想う人の姿を鳥が伝えてくれる、と言う忍び合う歌でした。古事記には憎しみや裏切りによる人間模様が、いや神の模様が記されていますが、一方では愛の思念が歌となって記されています。
さあ、もう少ししたら、戦闘モードに入ります。


そう言えば、お彼岸なんですね。全く忘れていました。この土日のどこかでお墓参りを済ませましょう。この数週間、曜日の感覚も、日付の感覚もありません。あるのはただ、月末の最大行事の締め切りがあり、その翌日が4月1日というだけです。


1125現在。そうだお墓まりに行こう。
と決めました。そうだお風呂に入ろう、とも。
湯気で一杯のお風呂に入れば、温泉に浸かっているような心地となります。念じれば曇り空の隙間から青空が生まれ始めています。
今日は、良い1日になるでしょう。
お風呂に入ってぼーっとしていれば、詩歌の良き案も生まれた。2番を返し歌にして夢を贈り(もっと幸せな夢)、3番は巡り会う、なんて歌もいいなー。けれど今日は創りませんが。
お墓まいりで、父母とおばあちゃんとご先祖に、この一年の無事を御礼してまいりましょう。本当にありがたく見守られた一年でした。


最近の我が家のブームは、ぶんたんづけです。小さな頃、博多のお菓子でよくザボンづけというたっぷりの砂糖をまぶしたものがありました。多分同じものだと思います。ぶんたんを毎日食べ、その皮を干して砂糖をまぶしたお菓子にしています。もう食べ続けて半年近くになりますでしょうか。
依頼、自宅でのおやつは、もっぱらぶんたんづけに変わりました。
鶏卵素麺とザボンづけ、私はこれが博多の銘菓と思っています。


1530現在。お墓まいり終了。
お彼岸だけあって霊園には多くの家族がみえていた。普段はほとんど人が居ないので、ぱっと明るくなったような気がするが変でしょうか。帰りに中華屋さんでお昼を食べてきたが、ふとメニューをめくる我が手に目が止まった。ピンと伸ばした手には縮緬のようなシワが一杯でした。普段は手の甲や指を見つめるなんてしないので気がつかないが、今日はちょっと驚いた。同時に歳をとったものだと。
さあ、繰言を述べてなく、仕事にかかろうか。