昨日に引き続きの作業中です。距離感がある遠距離との共同作業には、それぞれの時間差もあり難しさもあります。
多くの困難はありますが、なんとか乗り切らねばなりません。


本日は天気も良く、明るい気持ちで、チャイナタウンからスタートしております。


チョットした愚痴になりますが、最近モチベーションという言葉で責め立てられます。何々が出来ないからモチベーションが下がる、という論法ですが、確かにモチベーションとは他人から与えられる動機付けの環境を指していますが、ベンチャーに於けるモチベーションって一体なんでしょう。非常に疑問に感じています。
本来のモチベーション(他動)という意味からは外れるかも知れませんが、そこには自らを奮い立たせ立ち向かう自動的意識は生まれないのでしょうか。モチベーションを盛んに主張されると、如何にも正義のようですが、私には大企業病に侵された設えられた環境で生きていくという風にしか感じないのですね。
例えは悪いのですが、生きるか死ぬか、蘇るか否か、乗るか反るか、右か左かを決めるときに、何と悠長なことだと感じます。だからこそモチベーションも生まれないのではないのでしょうか。多くの人は、階段を着実に昇っていくのが当たり前、その階段があって当たり前と捉えるようですが、生き残るための階段を作っていくのがベンチャーだと思います。
人はこの先、1秒先にも何が起こるかは不明です。そのような時に、普段ではない力と意識を結集しなければなりません。或いは一人一人が立ち向かっていかなければなりません。社会のせい、会社のせい、家族のせい、友人のせい、教師のせい、と言い募っていてもことは収まるわけではありません。結局は、社会正義の幻に転化して、己から逃れる理屈にしか聞こえません。
とは、古事記には書いてはありませんでしたが。
さて、引き続き仕事に向かいましょうか。


1910現在。稜線移動中。
仕事の合間ではありましたが、義兄のお墓詣りをしての帰り道、甥っ子家族が立ち寄ってくれました。元気で頑張っている様子で、安堵いたしました。最近は自分が仕事に追い込まれていて、甥っ子や姪っ子への気も回ることができませんが、元気であればただそれだけで嬉しいものです。


仕事は、難関を極めており、まるで稜線を移動中の登山隊のようです。右からも左からも突風が吹き、高所恐怖症の私は断崖を見て足がすくみそうでもあります。全くの力不足を感じています。少なくとも、連絡だけは綿密にと思っています。