おはようございます。
素晴らしき快晴です。部屋がポカポカしております。
よく寝ましたので、気持ちの良い朝を迎えております。
昨夜のブログを見ると、相当に酔っ払っていたようでお恥ずかしい。しかし一旦書いたものを消したりはいたしません。
今日は、散髪やら部屋の片付けやら、我が家のお墓参りやらマイナンバーのための証明写真撮りやら、こなせるだけのことをやりましょう。
仕事は明日からだなー。
今年は、年賀状が私の世界最高速記録で終わってるので、気にかける事がないだけに楽です。
房総の日の出を年賀状に使っていた時期もありましたが、そんな旅行も今年の正月からは止めにしましたし、終活に向かい生き方のチェンジが自ずと起こっているのです。
まあ、午前中は静かに本を読んでおりましょう。


部屋を片付けるにあたって、そろそろ無線機を売りに出そうかと思っている。使われなくってもうかなり経ちますのでね。持てる力を発揮できずにかわいそうであります。一応の名機でありますから。
もう私も無線を再開する事はないような気がしています。バイクや自転車に乗る事がないことと同じように。


1130現在。
陽射しを浴びて過ごす日の豊かなこと。
どんなにそれが僅かな一瞬であったとしても、その暖かさは身体や心に留まり続ける。
読み続けている日野啓三さんは、専門が何かまで分からないが、随分と科学というか科学史に深い洞察を持たれている。科学は、多くの機械を生み出し世界に便利さを提供したが、一方では人間を自然から遥かに遠ざけてしまった。だが、科学は、別の観点からミクロの世界を覗き込むことを可能とし、そこに小さくちいさく蠢いている細胞やミトコンドリアなど、機械より遥かに精密で柔軟な動きをするメカニズムを我々に知らしめている。つまり、自然の偉大な力を一方では感じさせてくれているのだ、という。
このような創作を毎日読んでいると、命を持った創造物の我々が、自然との関わり、積極的であろうが受動的であるがに関係なく、物理的なものと精神的なものとがいつも深い関わりの中にあるのだと感じる。一方では、個人の意思はそれを自己の力で制御しようとするが、出来ることとできないことは神の力で制御されている。
私にできることは、どんなに一瞬であれ、この暖かな日差しを精々心の暖かさや豊かさに転換し続けることであり、これも神がくれた力の一部に他ならない。
ありがたきことよ。


1310現在。
調律師を読了しました。
つくづく熊谷達也さんの幅広い調査力、あるいは見識の広さには感服する。工学者としての目がそうさせるのだろうか。
今回は、音楽についてである。クラシックについても、ジャズについてもその見識や知識は日頃からそれらを日常の中で楽しまれている愛情を感じる。調律師の作業については、それは取材を何度もされたのだろう。
今回のテーマは、嗅覚と音楽だ。話は異なるが、自分には、こればかりは他の人に聞いたことがないので、一瞬の匂いがずーっと継続することがよくある。それは腐臭であったり、病院における薬の匂いであったり、電車で隣に座った人の香水の匂いであったりする。いい匂いは、早い時間で消えてしまうが、腐臭や薬剤の強い匂いは、一日中付きまとってしまう。それが自分の体臭ではないかと気になってさらに気にする。
自分の場合は、時折アトピーを引き起こすために強い薬をつけなければならない時があり、その匂いは、自分を直ちに参らせてしまう。
一旦、鼻についてしまうと、他の香りは全く感じられなくて困ってしまう。美味しい料理の香りも、惑わす妖しげな香りもね。きっと過敏症なんだろう。この小説のように、その特性が新たな才能になることはなくて、残念ではある。