3 前触れ

胃腸の痛みは、これまでの経験にはないものだった。
検査の結果を踏まえて、外来での医者は直ちに入院を告げた。血液検査の結果は炎症を示し、レントゲンは腸閉塞の兆候を示しており、腸の安静を図るためにおよそ2週間程度の入院が必要だという。
入院などの支度も心構えなど全くないままに、外来処置室で点滴処置や入院に伴う手続きを行う。連れ合いにも電話をして、入院の支度を整えてくれるように頼むが、入院という事態に相当驚いていた。
会社のキーマンにも2週間の入院が必要だと伝えた。しかし、自分でも驚いているのは、あまりにも突然であるはずなのに、仕事の引き継ぎで慌てることがなかったということだった。誤解を生むかもしれないが、それは常にコミュニケーションを取っており、メンバーが困る状況にはないという、立派なことでなく、これまで私のやっていたことはキーマンの考え方一つで全て解決できるということだった。
結局は、2ヶ月の入院となってしまったが、私がいまもって仕事でヤキモキすることはない。


入院してレントゲンや血液検査を重ねる中、入院担当での医師が処置を決めかねているようだった。それは、腸の安静を図る中で腸閉塞の症状が緩和しないこと、また腸全体の過去のCT画像などと変化を細かに見て行くと不審な影があることだった。これまで千葉大では、年に1回10年前に手術し除去した腎癌の転移がないことを確認するために胸部と腹部CTを撮っていた。ちょうど、半年前だった。今回の東邦大から千葉大に連携を取ってもらって、そのCT画像を重ね合わせて確認していたのだ。
数日後、医師から病状について説明をしたいとのことで、入院フロアーの別室に呼ばれた。その時点で何かあるなと感じてはいた。
結果、私の病名は内科の医師的には、GISTという珍しいもので、癌の一種であるとのこと。その腫瘍が、小腸を圧迫して閉塞を生じさせており、外科手術でその腫瘍を摘出する必要があるという。
その時点で私は二重苦になってしまった。癌であること。そしてその癌を除去しないと閉塞が治らないこと、の二重苦である。また、この腫瘍の除去については、腫瘍が移動しているので開腹手術となる。さらにその手術は、外科の手術スケジュールでは1ヶ月後になるいう。
その説明を聞きながら、私はとうとう来たか、という思いがした。10年前の腎癌の時にも、その宣告を聞きながら頭は真っ白になったことを覚えているが、今回は二度目であり死の宣告を聞いているようでもあり、涙がにじんできた。医師にその顔を見られたくなくて、PCの説明画像で相当大きくなっている腫瘍を見つめていた。