5 前触れ

結局、50日の入院期間中、ようやく病院食を食べることが出来たのは手術後の10日間で、その間で重湯から全粥までの一通りを経験した。それまでの40日は、高カロリー補給の首から打つ点滴と、補助するためのエレンタールという合成栄養ジュース一日300mlであった。
大部屋の戦友たちの3度の食事の時間、私だけが絶食で配給がなく、私のジュースを混ぜる音だけが部屋中に響いておりました。
手術までの期間中、腸閉塞で物が食べれなくて、ひたすら腸の安静のために長い期間を過ごしたが、心はすっかり入院患者となり、わずかな院内散歩を日課とするだけの生活となった。この期間中の体力減退が復帰を遅らせていると思っている。今から考えれば、もっと運動をしていれば良かったかもしれないなぁ。


大部屋の病室は、6人部屋で私の場所は、入って直ぐの日のささない暗い場所だった。何週間か経った頃、看護師さんが窓側の場所が空いた時に移動しませんかと声をかけてくれたが、私はそれを断ってしまった。心に決めていることがあって、手術が終わり退院に向っている時には明るい場所に移りたい。それまでは今の暗い部屋でじっとしのんでいる、ということだった。
この思いは、10年前に千葉大の病室から眺めていた工業地帯の冷たい景色を思い出して、心が明るい方に向かっている時に明るい景色を眺めたい、ということだった。
勧めてくれた看護師さんは私の断りに怪訝な顔をしていたが、手際よく私以外の患者さんを窓側に移動してくれた。
私の手術が終わり、戦友たちの病室移動や退院が気配で感じられる時、今度声が掛かったら窓側に移りたい、という気持ちが湧いてきた。そして直ぐにその機会がやってきた。前回の私の断りに問題があったのか、何故か今度は看護師長さんが声を掛けてくれた。私はすぐさまお願いしますと返事をし、あっという間に移動が終わってしまった。
窓側の場所は、素晴らしく日当たりがよくて、晴れた日は朝から夕方までベッドの上で日光浴ができる暖かさだった。
日光浴は、私の気持ちを強くしてくれたようで、退院をしたいという願望は日増しに強くなっていった。併せて手術後は絶食も解かれ、重湯やお粥であれ米を味わい、味は薄いとはいえおかずも食べることが出来たのが気持ちを強くしたのだと思う。