6 前触れ

そうそう、手術後すぐに妙な体験をした。生まれて初めてで、もう味わうことのない経験だろう。
手術は10月29日の8時半からだった。10年前の腎癌の摘出手術と同様に全身麻酔であり、予備的に脊髄に打つ硬膜外麻酔の併用であった。全身麻酔は、あっという間に意識を手術後まで奪い去り、目が覚めたのはお昼過ぎだったのだろう。連れ合いの他、大勢の先生や看護師さんの顔に囲まれていたことをうっすらと記憶し、また寝てしまった。結局その日は、痛みはさほど強く感じなかった。
翌日、時々強い痛みを感じることがあり、看護師さんも先生も、痛い時は無理して我慢する必要はありませんからね、と言われていた。また、病室の戦友も痛み止めを所望する人が多かった。そこで私も2度痛み止めを頼んだ。
この痛み止めは、点滴で入っていくのだが、身体に入った途端化粧品のような匂いを感じた。また効用は鎮痛、解熱であったが、私は3度の検温でも熱はなかった。熱が無いのに下熱剤を服用しているせいか、突然暑く無いのに汗をかき始めた。妙だなという気はそこから始まっていた。
2度目の痛み止めを点滴した夜に、不思議な感覚に襲われた。ウトウトし始めて間もなく、突然三味線のお囃子が聞こえてきた。祭りのお囃子のようだった。私には、以前より強い耳鳴りの症状があり、いつもキーンという音が聞こえている。今回は、耳鳴りというものでなく、三味線の音は、暴走族のバリバリ音に転じることはあってもキーンという音には転じなかった。
寝ぼけているのかと思って、時計を見るが未だ24時である。緩く目を閉じると、今度はベッドが前に進み始めるでは無いか。目を開けると停止する。気持ち悪いな。朝まで起きておこうと思った。
しかし、ついウトウトすると、今度は私は森の広場の真ん中にいた。虫さんやら動物さんや人々が私を取り巻き、私の耳元でお話をし始めた。動物さんや虫さんの話は童話のようであり、人の話は聞いたことの無い面白い物語であった。
私は、この話が聞こえる状況を気が狂ったようで気持ち悪く思うと同時に、この話をまとめれば小説家になれる斬新な話だ、とも思った。しかし、気持ち悪さが勝り、目を開けてカーテン越しの非常灯の灯りを見つめていた。この時の時間の流れはとても遅く、6時の起床時間まで悶々としていた。こんな時に大部屋ではTVをつけることができないのが残念だ。