おはようございます。今日のお天気は大曇りです。
本日の予定は、お昼から幕張の免許センターに出かけます。免許の書き換えです。これが最後となりましょう。次は、更新しないつもりです。今回更新しても、ほぼ車には乗らないでしょう。反射や目の具合の悪さから、危険と感じるからです。
自動運転車に乗るにしても、免許は必要と考えての今回の更新となります。


いよいよ本日で夏休みが終了します。今年はズーッと旅に出た気持ちになれた様で、体調は良くなかったものの、満足できた休暇となりました。
仕事に対する思いも少しずつ変化をしてきた様です。もう決して無理をすることもなく、仕事とは異なる自分の人生の終い方をたどって行くことになるでしょう。


1627現在。免許センターより帰宅。
ちょうど13時に免許センターに着き、14時に更新を終えることができた。お盆ということもあり大変な混雑だった。
目の検査時に目が霞んでいたので心配したが、全く問題なく通過できた。前の人は、直前に目薬を注すなど、やはり目に気になることがあったのだろう。私も目薬をさしてしまった。
前の人は、検査に通らず、詳細検査に回され、私もドキドキであった。
帰りに、連れ合いとともにロイヤルホストでサンドイッチで昼食を取ってきた。
さあ、これで休暇の行事は全て終わった。良き休暇であったな。


2009現在。仕事中。
帰宅してしばらく休んだのちに書斎に入ったら、なんと免許センターに行っている間にFAXが来ていた。
慌てて仕事をし始めて、現在もなお半分ほど残している。
一旦夕食を済ませた後再び仕事に戻るつもりだ。


2123現在。仕事終了。
資料作成して送り込みました。本日は折り返しが無いようなので、本日の業務はこれにて終了いたします。
仕事中、左腕の肘あたりが痒くて、よく見ると蕁麻疹がぷっくり点々。何かに当たったのだろうか。一応ムヒを塗っておく。

11.エレベーターピッチ

エレベーターピッチはあまり日本では馴染みのない言葉だ。平たく言えば、エレベーターの中で意中の要人に出会った時に、エレベーターの中で一緒にいる非常に限られた時間の中で、かねてよりの提案を行い相手の心を射止めるコミュニケーションと言うかプレゼテーションのことを指している。
局面は大きく異なるが、私の場合もこのようなエレベーターピッチ或いはタクシーピッチなどを日常から実践せねばならない環境にいる。それはあまりにも上司が忙しく瞬間の時間を盗んでプレゼテーションをし決済を得る必要に迫られるからだ。


ーエレベーターピッチはテクニックではない
誰かが言った言葉だが、プレゼテーションに必要なことはロゴス(論理性)、パトス(驚き)、エロス(魅力)の3つの要素だと言う。まさにその通りだと思う。
がしかし、エレベーターピッチが日本人に中々受け止められないのは、そこに信頼やロイヤリティが抜けていることにあるからではないかと感じている。つまり言葉だけではごまかされないぜ、ということなんだろう。
時間がない中、旧知の人であろうが顧客であればなおさらだろうが、エレベーターの中の様な短い時間で自分の意見を聞いてもらい、提案を受け入れてもらうことは、信頼やロイヤリティに裏打ちされている前提条件が必要なんだと思う。
基本は、テクニックではないのだ。


ーエレベーターピッチは、直訴の心構えが必要である
エレベーターピッチは、直訴そのものでもある。前項と矛盾するかも知れないが、信頼やロイヤリティがない中での直訴は昔の世界では、命と引き換えだったらしい。それでも直訴の内容が受け止められる可能性はほぼなかったと言う。
現在のビジネスの世界では、命と引き換えはありえないが、受け取った直訴内容は、自宅の郵便受けにポスティングされたチラシの様な効果でしかない。それは、求めたものではなく、単に手渡されたものだからに他ならない。
無理やり手渡されたチラシは、内容がどうであれ、無礼な奴、という印象しかないだろう。
つまり成功物語として描かれているエレベーターピッチは、偶然のなせるおとぎ話に近いものかも知れない。


ー信頼やロイヤリティの醸成
信頼やロイヤリティがない相手からの提案は、まず受け止められないだろう。これは自分が受け止める側に立ってみればすぐに分かる。
上司や顧客から、信頼を得るためには、これはいわゆるビジネス問題であるが、時間を掛けての醸成が必要である。これがロイヤリティを認められる所以である。
ここからはテクニックだ。
そのためには、相手の必要とする情報に常々目を配り、机下に置くことだ。机下とは、相手の部下を通じて渡してもらったり、訪問した際の名刺に添えるなどを言う。
この時に、自分なりのコメントを添えると良い。自分の損得は無視して率直に相手の役に立つ(役に立つとは相手にとって有益不益を問わず)情報に、ちょっとした私見を添えると良い。しかし、これは提案ではない。提案が見え隠れすると、信頼は醸成されない。
つまり情報とともに率直な私見を、自分の損得に無関係に長い時間実行してくれるという実績が、一度は話しを聞いてみようかという気にさせる。かどうかは、保証の限りではないが。
これは、上司との関係についても同様であるが、信頼やロイヤリティは、テクニカルに生まれるものではないことを承知すべきだ。相手の方が上手だと言うことも承知すべきだ。


ー信頼が築けロイヤリティが認められたら直訴は届く、が
前項の状態が築けたら、ある程度の信頼が得られたことになるだろう。そうしたら直訴はある程度の可能性を持ってくる。しかし、腹をくくるべきは、やはりビジネス上の死罪はあるかも知れない、ということだ。
そのためには、直訴の内容が、つまり提案の内容は、自分の利益に関係してはならない。
率直に現在情報を伝え、最後に僅かに自分の意見や判断を簡潔に述べる。その意見は僅かでも自分の立場に有利になる結果だったら、その意見は述べるべきではない。
①率直に現在情報を伝えるには、公開情報の引用を分かり易く箇条書きに(推測は述べてはならない)
②自分の意見を簡潔に述べるには、率直が全てである。しかし率直は感情的になりがちだ。分かり易く簡潔に感情を排して述べよう。
③①②の結果、相手の逆鱗に触れ、切腹となるかも知れないが、それは覚悟せねばならない。

11.エレベーターピッチ続編


ー先の項でロイヤリティについて書いたが、、ロイヤリティはテクニックでは養うことはできない。心から忠誠を感じるからこそ生まれるのがロイヤリティだと言えよう。
だからこそ相手のために直言しても受け容れられるのだ。
このことを知らずして、ロイヤリティをテクニックでは醸成できるものとすれば、返り討ちに遭い、また己が傷つく結果となるだろう。


ー私の経験では
これまでの長いビジネスの人生の中で、6人の社長に仕えたが、いずれも参謀役としての役割だった。なかでもロイヤリティを持ち、仕えることができたのは3人の社長だった。よって、他のロイヤリティのない直言により自ら忌避し、逆に忌避されてしまうこともあった。忌避されればそれは退職に至るのである。