ブログのコメントの在り様は

この日記をつけ始めて1300日。ほとんど変化の無い平凡な生活を記録してきた。しかし折角ならば、この他にも、文字を連ねる訓練としてメッセージを記録していきたいと考えた。どの様な記録になるかは分かりませんが、はたまた続くのかも分かりませんが、いざ取り組まん。
毎日、日課として梅田望夫さんのブログからスタートして、コメントを読んだりトラックバックを辿って新しいブログとの出会いに魅了されている。
最近、尊敬する梅田望夫さんのブログについて思うことあり。梅田望夫さんの言葉のほとばしりを見せ付けられて圧倒されているのだが、実はそこに寄せられるコメントに心無いものが散見され非常に心穏やかでない。
勿論、梅田望夫さんは軽く、あるときは重厚に論破されている。しかし、一方観客としての私は、この言葉のマナーも知らないコメントに複雑な気持ちになるのだ。
良い解釈をしてくれる人は、言葉は誤解されることもあり難しいものだ、等と説明しているが、言葉尻を捉えて執拗に非難を繰り返すなど、決して言葉が難しくて誤解を受けているのではなく、意地が悪い、悪意がある、ひねくれている、としか思えないのだ。
大体において、このようなコメントを残す人は自分のベースとなるブログもない。匿名に名を借りた嫌がらせをしているに他ならない。
思うに、人の家の庭先で議論やコメントを残すマナーというものは無いのだろうか。少なくともシビアーな議論をするのなら、トラックバックで自分のブログで論を展開されるべきだと思うのだが。
激しく憤りを感じて罵りたいのなら、まず自分の家の庭先で、思いのままの言葉で自分のブログに論を述べられると良い。
その昔、パソコン通信の時代にもBBSで酷い言葉を使って罵り合っていた場面を見てすっかり興ざめしたことがあるが、まさに同じ光景である。人の心の貧しさが、言葉の激しさと比例する。
人の話はよーく聞く。言葉尻より論旨を受け止めよう。情熱を頂こう。違うと思えば思うだけでもいい。それを越えてどうしても何か言いたければ自分のブログで論を展開すればよし。こんなスタンスでいれば、熱い議論も気持ちのいいものではないだろうか。