一年をふり帰れば

今年は、なかなかに激動の年だったな。身体の変調もあり、仕事の変動もあり、人生観も変わり、心の揺れもあった。このような大きな変動・変化があったからこそ非常に密度の高い一年と感じることが出来るのだろう。その時々に、自分の心の揺れと戦い、治めてきた。殆どまるまる一年この調子だったであろうか。漸く、つい最近落ち着いた心持になってきたといえようか。


身体の変調は、特に自覚症状はなく、精密検査にて転移の疑いを告げられたときの、逆ストレスによる変調というものだった。気がめいり、明るく振舞おうとしても、経過観察期間中の3ヶ月は何だか気がつけば下を向いて考え事をしていたようだった。今回この呪縛からは開放されたが、いつまた疑いを告げられるかわからない。しかし、天性のB型は、告げられたら考え込むという気質ではあり、そのときが来ればそのときである。


仕事の変動は、これは仕事であり、あまり気にはかけていない。
キーマンがいいことを納会で話してくれた。”仕事に変化があることは日常である。たとい不慣れな新しい仕事に従事するとしても、それが天職であると思い取組みなさい。”という言葉である。これには、感動を覚えた。まさにその通りであろう。仕事を与えられれば、まず天職と思ってひたすら取り組む、勉強する、研究する、工夫する。そうするうちに面白くなる。こんな面白さを感じる気概を身につけることが仕事に成功することになるのだ。成功はしなくても、仕事に愛情を持ち続けることが出来ることになる。いや、それが一つの成功であろう。
これまで仕事が嫌になったことはない。これは自分の誇りである。転職はあったが、それは戦いに敗れて、領地を失ったに他ならない。戦いに敗れることは相当に悔しいことだが、領地を失い野に彷徨うことはもっと辛いことだ。
幸いにして、天下の浪人も1年にして救われることになったが、それも心を尽くして人と付き合いをしていたからに他ならない。”あの時””あの助けの手が出ていなかったら”と思うとぞっとしている。
これまでの人生の中で、自分がちゃんと自分らしくいられるのは、その時々に素晴らしい仲間がいてくれた御蔭だと思っている。その縁をちゃんと次の縁につなげるために、自分は幹事役となり一生懸命働いているつもりだ。人へのちゃんとした上手な説明や訓示は出来ないが、縁つなぎは自分の天性のような気がしている。宴会が好きなだけかもしれないが。
いまの仕事の環境は、なかなかにハードなものであるし、まだ先の長い、それでいて休止のない切迫したものである。しかし、嫌いな仕事ではない。随分永らくこのような仕事ばかりに取り組んできていたような気がする。
しかし決して好きな仕事ではない。人の心の裏表を垣間見ることになるからだ。重圧というかストレスは溜まっている。時には愚痴をこぼしたくなるが、幸せなことに自分には、それを受止めてくれるキーマンや相棒が居る。これが一人での戦いであれば、何の喜びも目的達成感もなく、とうに挫折していたことだろう。それだけに最も大事な恩返しをしなければならない人達でもある。


久し振りに心の揺れに遭遇した。
結構気丈な質だと思うが、言葉もしくは無言による苦しみを味わった。恐らく自縄自縛である。仕事の内容にはどんな戦いも傷は受けないが、言葉に非常に敏感であるために、自分の心に対する言葉もしくは無言には悩んでしまった。過敏になりすぎ、段々と螺旋の渦深く落ち込みそうになった。こうやって神経症になっていくのだなと感じた。自分には大昔に教わった飛び道具があるので、漸くそれで救われた。
いまでも、ふっと心かすめる揺れがあるが、もう深みにははまることはない。
このようなことは、自分のような出しゃばり、に起こることだと思っている。