詩は 受け取る側で 勝手に発酵しあるいは化学反応し 新たな意味が生まれる。

5時起床。天気は曇り。目覚め眠し。
本日の予定は、会議資料作り、夕方から会議。


21時20分現在。帰宅。
まっこと疲れた。来客やら、会議資料に追われるやら、会議やらで、休む暇なし。
会議は、重要案件なれど少々眠くなり、対処に困った。昨日の飲みすぎが祟ったか、あるいは蕎麦屋で乗せたゲソの揚げ物が効いたのか。
そういえば、今朝からとんでもない間違いをしており、相棒にきっちりと叱られた。ええい、全ては昨夜の酒のせいにしてしまおう。


きょう、連れ合いと義妹は、一宮へ義父のお墓参りに行ったという。晴れていて良かった。
お土産は、地の魚の刺身だ。鰯、飛び魚、鰹で新鮮で美味かったな。


明日はまた、きょう以上に慌しい。議案の説明が2つも自分の役割だ。結構緊張するんだな。これが。明日を通り越すと、少しノンビリできるような気はしている。が。


新人君たちに、詩歌を贈ったが、お礼と感想が朝一番のメールで届いており、これは嬉しかったな。昨年の新人に捧げる詩歌よりは、力が抜けて淡白だったような気はしているのだが、相棒いわく、受け取る側で”発酵と化学反応”する。これは名言だ。
そうだ、言葉は自分が思うこと以上に、相手の中で醸成され、意図しない反応が起こるんだ。
名言だ。


本日の車中読書は、”ひなた”だ。
7月の出張には、祇園祭を見てみたいな。と思っています。計画中。