機関車先生、あなたにはまた泣かされてしまった。本日、のぞみをそのまま乗り越して、山口へ向かおうという気持ちが衝動的に私を襲いました。いつかきっといってみたい。

おはようございます。星がまたたいている綺麗な空です。
本日は大阪出張。慌ただしい一日が始まります。


1025現在。京都着。
あと少しで旅が終わる。
伊集院静さんの、機関車先生、を読了した。また不覚にも泣いてしまった。美しい瀬戸内の島に着任する声のでない先生と生徒、住民との触れ合いの物語は美しく、また切ない。
いい作品にであったものだ。余韻が収まらない、のぞみ車中の豊かな時間だった。


2200現在。施設着。
きょうは目が疲れている。目が霞みます。目薬をさすがなかなかよくならない。のぞみ車中での文庫本丸々一冊を読んだせいだろうか。それとも昨日遅くまでPCで仕事をしていたせいだろうか。
いずれにしても本日は早く寝ることにしよう。明日は15時には大阪を出るつもり。
ちょっと気がかりなことが発生している。展示会での撮影をどの機材でどの様にするかということだ。


物語を書くとき、全く空想の元に全てを完結させることは至難の技だろう。何かしら、現実の経験や、聞き書きが使われることになる。その時、その対象者が不快な思いをしない様にデフォルメを施す必要が出て来る。しかしながら、分かる時は分かるもので、一つの縁がそこで断ち切られることにもなる。それだけであればまだ良い方で、訴訟ごとになる様なことも考えられる。
ハッピーなことであればまだしも、ズカズカと相手の心の中まで踏み込むことは往々にして発生する。何しろ心の中まで表現することに意味があるからだ。
難しいよね。書きたいことはいろいろとあるが、書くことができないことの方が多い。この葛藤が、また新しい表現を生む事になればいいのだが。