汗ばむ朝、軽やかに駅の階段下りるお嬢さん、ワルツを踏んで涼を撒き。

おはようございます。
千葉の朝は曇りです。
今日は金曜日、ようやくという気分。
明日からは三連休だが、形勢によっては、月曜日は遠出するかもしれない。
昨夕発生の問題がこじれるようならば行かねばならないし、見通しがきけば、安寧の自宅三連休となる。
この疲れを何とか飛ばさないと、これからの長丁場を乗り切れない。


2130現在。
協業先との宴席終了。
いやー。面白かったな。自分と近い出自の人が多くて。
書くに始まり、乗るバイク、血液型、出身地、趣味。仕事以上への共通点多くてどうしようかというくらい。
明日からが楽しみだね。
やはり、ヤンチャでなければ生きている意味がない。守ることに懸命などうんざりだ。そういう意味では、実に楽しい宴席でしたね。
ヤンチャな人が多くていいね。
人間って、そもそもヤンチャが先にあって、それをどうまとめるかということであり、先にまとまっているわけじゃないんだよね。
それを考えると一目瞭然。
そこに共通点を見出し、橋頭堡の手がかりを見つけることから始めるわけだ。そういう意味では、共通点は一杯あったし、良かったよね。


最近特に思うのだけれど、安住が先にある人、つまり守りの人、については魅力を全く感じないということかな。守るための便法はいかようにも知っているかもしれないが、それは、六法全書や社内規定があれば済むことで、人はいらない。
明日の我が身がどうなるかのリスクの恐怖はあっても、でもその道を決断することこそ、一番大事なことであろう。
もちろん今の自分に立ち返っても、だからこそ働くしかない、いや働くことで返すしかない、という思いになると思う。当たり前にそこにいれば、今の給料が受け取れる、というような発想にはならないだろう。
様々なことに思い至りました。だがスンナリと受け止めたわけではありませんよ。
私は、結局能動的な人しか愛せないのだろう。