年の瀬の墓参り あなたの歳を過ぎてもう10年経ちました 夫婦仲良くやっていますか この世では見ての通りです 本当に見守ってくれて有難う 青春の歌を聴き涙が溢れて止まりません そんな歳になりました。

おはようございます。
今日は天気予報によると天気は悪く雨模様と言っていましたが、朝は快晴で気持ち良く、昨日同様に家中のカーテンを開けて虫干しです。
上総一ノ宮への義父のお墓詣りには私は同行しなくてもいいという、車の座席数の関係で、お達しなので本日は留守番となり、原稿書きに邁進することにいたします。
梗概を書きながらも、未だ迷っているのです。これで何が言いたいのか、片方が良ければ片方が悪いという一方的見方の意趣返しになっていないのか。それで何が伝えられるのか。未来に繋がるのか。どんな展開の構造にすれば、新たな視点が生まれるのか。誰の視点で書けば良いのか。
まだ時間はあります。何度も書きなおしましょう。



1410現在。チャイナタウンから始まる。
のんびりしています。珈琲を何杯飲んだでしょう。煙草を何本吸ったでしょう。溜息をいくつついたでしょう。私の仕事はなかなか展望が開けません。
書斎の窓からの陽射しの差し込みが、左の端から右の端へと移動していると言うのに。BGMはチャイナタウンから始まり、3つの矢沢永吉さんのアルバムがもう3度目に差し掛かろうと言うのに。ついつい暖かい陽射しに微睡みを覚えてしまうのです。幸いにもこの部屋にはTVがありませんので、見入ってしまうことにはなりませんが。


1810現在。息抜き。
居間に降りてきました。原稿は少しずつ進み始めました。
息抜きでTVにスイッチを入れると、青春フォークという番組をやっていました。さとう宗幸さんの、水仙華の歌を聴いて涙が止まりません。父母への想いが不意に蘇ってきました。いい詩だった。


1929現在。
我が家では、お正月の準備が始まっています。とは言え、我が家はおめでとうさんがないお正月となります。ただ甥っ子や姪っ子が集まる拠点になるために、まあ幾つかの料理は出さなければということです。
年の暮れになるといつも昔のことを思い出すのは何故でしょう。以前は、誕生日の前後がその様な時でしたけれど。これも年齢のせいかな。
いま夕飯が早めの年越し鰊蕎麦とお稲荷さんでした。もう私の大晦日は終わろうとしています。この後、山田詠美さんの小説に戻ろうかと思います。都会から田舎に引越ししてきた少女が、仲の良い友達と少しずつ大人になっていく模様が続いています。私にはその小学生低学年時代の記憶が全くなくって、ただ一人だけいまも懐かしい友人がずっと頭の中に存在していました。夢にも見ました。その友人とも三年前に再会することができ、夢は再び廻りませんが、巡り会えた大きな嬉しさが通り過ぎたのでしょうか、2・3度酒を飲み交わしたのちは、忙しさにそのままになっています。大阪に出張した時に、何度も電話しようかとの思いもありましたが、景色の中に塗り込められたのかも知れません。


今日の原稿書きも、宿敵であった人を描くのに、当時のその人の気持ちになって書き進めています。ふつふつとした自分の思いを景色から消して描いています。難しいことです。それが出来なければ私は所詮、日記書きでしかないのでしょう。