29.時間の関数

以下、ちょっと前のブログから引用しましょう。
今朝からの車中読書は、SPRINTだ。副題が最速仕事術と言うハウツーものだが、非常に刺激されている。
これまで知の小道具や自分のコメントの中で、自分の過去の仕事のことを語ってきたが、その基本は時間にあったということに気付かされた。どういうことかと言えば、これまでの長い人生と仕事の中で、短時間に仕事をこなしてきた、逆な意味で言えば短い時間の締め切りに追われてきた仕事ばかりだったように、この本を読みながら感じたのだ。
なるほど、時間の短さが自分を追い詰め、刺激し、緊迫の中でアイデアを生み出し続けてきたのだ。
本の執筆にも締め切りがあり、いつも締め切り日までギリギリに書いていた。ある時には、編集者が家におしかけ、夜っぴきで待機して、本人はもとより家族も寝れなかった経験もある。
イベントの仕事をしているときも、開催日が決まっており、1時間たりとも開催を遅らせることはできなかった。
ドラフト会議のシステムと運用を受注した時には、運営がTV放送枠からはみ出し、えらく怒られたこともあった。
緊迫した時間に、企画や文章やアイデアを生み出すことに、すっかり慣れきって、時間が発想や仕事を推進する大きな要素だということを見落としていたようだ。


ー成果が生まれるとき
以上、これまでが時間に追われながら取り組んできたことが、成果も不出来も生んできたのだが、終結に至ったことは事実だ。つまり、漠然と取り組んでいることは、自由なるがゆえ目立った成果も、はたまた失敗も生まないのだ。
厳しい程の時間制約を設けて取り組めば、何処にいても、いつであっても始終そのことが頭にあり場所を選ばず気がついたことをメモするような動作が生まれているだろう。
この緊迫感が集中力を生み、発想を生み、とにかくのゴールに向けて突っ走らせるのだ。
この際赤裸々に打明け話をすると、3年前に文芸賞に応募した事がある。一年の内に3つ応募した。今から思えば、よくもまあそんなに書けたものだと思っている。出来不出来は別問題である、と言うより賞にはカスリもしなかったので、論外の出来であろう。
今もなお、原稿には手を染めているが、当時に比べて完結を迎えないのは、自分に猛烈な締め切りを設けていないからだと思っている。それはつまり、自分の中での単なる趣味に格下げをしているからに他ならない。つまりはできても出来なくてもいい程度にしか、結果の態度が示しているに他ならない。悔しいが事実だろう。


ー目的を定めれば
この知の小道具も、30回で終えようと思っている。漫然と書いていても新しい事は出てはこない。それに、図を付けなければ分からないことも多い。次のステップに進むための一旦の収束と考えたい。
さて振り返って、何の目的でこの知の小道具をまとめようと思い立ったのか考えてみた。思い立った時と今とでは、考えは変わっているかもしれないが、あとに続く人に向けて、考えること、まとめること、閃くこと、書くこと記すこと、企てること企画すること、の原点を示したかったことにある。
また、思わぬところに、自分の気がつかない才能は隠れていることがあり、人との出会いがそれに気を付かせてくれ、光らせてくれることがあるということを記したかった。自分の場合は、恩師との出会いが何よりのことであり、今のキーマンとの出会いでもあり、支えてくれたAチームメンバーとの出会いでもあった。
自分は大層我儘でもあったと思うが、協調性ばかりでは成果は生まれなかったと思っている。最後は自分の決断であり、降ってくるアイデアの採用も評価も自分の判断である。決して多数決のような調和ではない。
その根本は、何のために、と言う目的が明確であるかに尽きると思っている。