ブログの効用

毎日ブログをつけ始めてもう4年になる。
これをホームページを始めてからと置きかえれば既に12年になるだろうか。いずれにしてもよく続いたものだ。
毎日ブログを書くことになったのは、はてなを始めてから直ぐのことだ。はてなで感心するのは、製本化できることにある。もう3冊製本している。最早1年に1冊というボリウムでは収まらず、今年から半年に一冊の製本化にする予定だ。ブログは付けていても根っからの印刷物人間であるために製本化は真に嬉しいことだ。
そうして入院しない限り、出張してネット環境が無い限り、本当に毎日、起床時間と天気だけでも、と思って書き続けている。

さてこれまで日記というものをつけたことが無い。しかし単行本は約40冊ほど書いている。本を書くことの体力や根気の必要なこと苦しいことは充分に知っている。丁度この7年、最後の単行本を出して以来仕事にエネルギーの殆ど全てを費やしており書くということは会社の書類を書くことにとどまっている。

しかし、何らかの書きたいという内心の欲望が沸々としているのでありましょう、そんなタイミングでブログに出会ったのでした。御蔭さまでブログへ向かい何が何でも書くことが億劫でなくなりました。
勿論大したことは書けもせず、本当に天気や健康状態や何を食べ何処に行ったというようなことばかり。それでも書くということが性にあっているのでしょうか、延々と続けることが出来ています。これからもまた同じように続くでありましょう。

朝殆ど4時半に起き、食事をしてブログに向かうのが大体5時。それから5時半まで自分のブログを書き、人のブログをトレースします。トレースの出発点のブログは梅田望夫さんのブログ。ここからブログつながりやコメント、トラックバックを追いかけていろいろな意見を見て行きます。梅田さんが推奨する本も必ずトレースするようにしています。つまり、私の朝の勉強が主たるもので自分のブログをつけるのはその取っ掛かりのようなものなのです。
ブログのトレースをしていると、人がよく勉強していることが分かります。その情熱の一部を分けてもらう。それも朝一番に貰うのが私の励みでもあります。

わたしは、ブログで議論しようなんてことは殆ど思っていません。議論は好きですが、文字で議論はしたくないのです。ちゃんと顔を突き合わせて、素面で議論をしたいのです。ですから見ず知らずの人とは情報交換はあってもネットで議論などはこれからもしないでしょう。顔を突き合せない議論が議論であるはずがありません。私はその信念を持っています。見ず知らずの人と文字で議論をしても、意味が無いからです。そこで言う意味とは、議論は論点の違いを明らかにすることが目的ですが、その前にわたしは相手と心底の交流を図るために議論をすると思っているからです。あえて言えば議論なんてしなくてもいいのです。心底の交流が図れれば。むしろ議論をするとすれば自分と議論をするためにブログは存在すると考えてもよいかもしれません。日によって変化する自分の主張やブレに対して反省や疑問を呈するといってもいいかもしれません。
これも私にとっては、これからの本を書くための、一つの有用な、自分を見つめるための道具であると考えています。

ブログは、自分の工夫の仕方でいろいろな楽しみを発明することが出来ます。わたしの場合は、俳句や短歌などに一遍の知識も関心もありませんでした。しかしその一日を締めくくる一言が欲しいなということから、一日一句の言葉を表すことにしました。これはこれで苦労しますが、いい言葉が生まれたときには、一人で喜び満面。探究心の現われはこんなところにも生まれます。書店に行っても俳句や短歌のコーナーをめぐることも少なくありません。NHKの休日の番組もタイミングが合えば見はじめました。

わたしはこのはてなで製本化してるといいましたが、この記録は見返しても楽しいものです。読む本がなくなったときなどは直ぐに手にとっています。書き様により活動の記録を克明にとることができます。仕事上の内容は殆ど記録しませんが、出来事の件名などはイニシャルで記録することにしています。スケジュール帳以外に業務上の記録をとっていませんので、このブログが役立つこともたびたびです。しかしこれなどは瑣末なことです。

特にわたしの場合には、病気との対面が重要です。ブログに自分の体調の記録をとっていると連日の比較が直ぐに行えるので非常に便利にしています。また、心持のブレについては割りと正直に書くようにしています。つまり、気持ちの変化が良く現れている内容となり、後で自分分析をする時の道具となります。

結局は、物書きの、日頃書けない代替物という側面が中心ですが、最早もう一人の自分だという気がしています。