マレーシアの沖に沈む大きな大きな太陽 深夜特急を思い出し 時々淀川の先に見る。

7時起床。天気は曇り、風強し。目覚め快調。
本日の予定は、義兄家族とお墓参り。昼食をともにして送ることになる。


先週は、よく飲んだ週だったな。ほぼ毎日で、火曜日の一日だけ真面目だったことになる。今週は、金曜日だけが酒の席となる。
先週の金曜日は、結局最終電車に乗り遅れたが、当初計画のようにのっけから三井ガーデン四谷に泊まることを決断しておけばよかったかもしれないな。深酒をして2時間の道を帰るのは、最近は大層辛くなっている。


15時現在。天気は晴れ。風強し。
朝9時から義兄と佐倉の朝市。その後墓参り。
お墓は、強い日差しも無く、虫や鳥の声が静寂の中僅かに聞こえるだけで、誠に静かなものであった。いつものように5分ほどの掃除にてきれいになってしまう。
ひとしきり墓の前で、親父の昔話をしてきたが、一徹な親父も今頃天上にてクシャミをしているか、なんと親不孝な子供達よと嘆いているか。

時間があるのでユーカリが丘周辺を車で散歩。姉の膝も大分良くなってきているようだが、まだ杖が手放せないようなので、降りて歩くことまではしなかった。
結局、11時半過ぎから我家で昼食となり、ワインを飲みながら4時間ほどを過ごして、いま埼玉の東松山まで帰っていった。
この後は、もうゴロゴロとして過ごすことになる。
来週は、金曜日に呑む機会があるが、それまでの間は一滴の酒も無く過ごすつもりだ。普段が呑まないので決して無理な計画ではない。


最近は、不良生活もすっかり身につき、どの酒が身によく、また悪いかがハッキリしてきた。同じように、誰と呑むのが精神を高揚・安定させ、またどの様な時の酒がストレスが溜まるか、よく分かる。その相手がどう思っているかは、全く察知していないが。
最近、酒を飲むことは仕事のコミュニケーションとは思ってはいない。と、いうのも、仕事のコミュニケーションとして目的を持って呑むと、結構裏切られるというか、達成されないというか、そんな失望を味わうことが多いからだ。お説教になっているんだろうな。きっと。
思いを変えてというか、本来の自分の姿に戻って、人間として呑む、ということに切替えている。つまり、相手と高めあったり、励ましあったり、認め合ったりしながら呑もうということだ。一緒に生きている人間としての気持ちが伝わらない限り、相手も胸襟を開いてくれないはずだし、胸襟を開かせようなんて、おこがましいのではないかとさえ思っている。
けれど愚痴を言う酒は、2度目は御免だ。


21時現在。夕食終了。
風は少し収まってきた。
今日はダラダラと飲みながら食べながらだったので、夕食は遅く、アッサリと。
うとうとしながらTVを見ながら、見ていると、NHK番組で、仏像を彫っている有名な俳優さんのインタビュー番組があった。インタビューアーの仕切り方が強すぎて、本人が興味深い横道に逸れようとしようとすると、すぐに方向修正をする、やや型どおりのインタビュー内容となっていたが、大きな感動を得た。
人によっては、いろいろな意見を醸しださせる強い意見だったが、深い内容の考えさせられるものだった。つまりは”自分はどうあればいいのか”ということに、仏陀もしくはその他の神々と、自分の心底との対面だろう。
もう一つの番組で、”接遇”のセミナー講師で人気のある女性講師のドキュメンタリーをやっていた。これも考えさせられる番組だったな。
もちろん、一般的な社員教育への接遇の大事さと、社員として突き抜ける(成果が上がる)ための接遇があり、一方での会社とは別次元の”人としての在り方の接遇”には違いがあるのかもしれないが、心の発露を求める共通地盤の接遇には共通するものがあると思える。
この2つの番組には、感謝。