盆休み 過ぎてみれば 庭に漂う 秋の気配。

7時起床。天気は快晴。目覚め快調なれどやや眠し。耳鳴りが、酷くなっている。
昨夜、連れ合いが世界陸上を遅くまで見ていたので、時々目が覚める。
夢の中で、突如カンフーの兵になり大暴れしていたが、陸上の歓声のせいだったろうか。


本日の予定は、殆ど仕事となるであろう。既に第1便FAXは送り込んだ。
今日こそは、外に出て本屋さんにいき、明日から読む文庫と文芸春秋を買ってこなければ。結局初日にお墓参りに行った他は、煙草を買いに行った散歩だけでこの連休が終わってしまった。

折角当った、グアム旅行であるが、多分放棄することになりそうだ。深夜に成田をたって、2泊し(内一泊は深夜の現地ホテルで)また深夜に当地を立ち早朝成田に着くという、強行軍の旅なので疲れに行くだけだという判断だ。若者達には、会社を休まずに、会社が終わってから月曜日の朝も出勤できるという、人気の旅のようだが。
沖縄に行けるだけで、我慢をしておけと言う天の声だろう。
なんとか、旅行券と交換して貰うような交渉をしてみたいと思っている。



15時40分現在。
14時過ぎまで仕事に追われていたが、漸くひと心地ついたのでサティに買い物に行った。自分は、本屋で文芸春秋他、初めての作家2人の文庫本を調達。これから読むかどうかはまだ不明。
明日からの電車の友は、これで補給できた。



19時50分現在。
文芸春秋掲載の”磯崎憲一郎”さんの”終の棲家”を読み始めた。何だか暗いナー。芥川賞作品は随分読んでいるが、何時もこんなくらい作品ばかりだ。どちらかといえば異常世界だ。
だが、人間の内面は、時折もしくは何時も、このなんらかの異常世界が蠢いているんだろう。翻って自分を考えると、異常世界は存在しているが、こんなに暗いものではない。と思っている。まだ、半分程度しか読んでいないので、なんとも言えるものではないが、改行の少なさも圧倒的にこの情況を作り出しているように思える。
今日は明日の出社に備えて早く寝るつもりだが、日曜洋画劇場が待っているし、その前に、宿題の修正が残ってもいる。


20時50分現在。
終の棲家、読了。いわば短編であり、アッサリと読めてしまった。
短い分量の中に、結婚してから約20年間にわたる人生を、妻との距離のあるいは家庭という棲家での自分の身の置き場所、あるいは心の居場所を放棄しつつも、何時もそのことに囚われている時間早回しの作品だった。読了後、それなりに共感も有り、ホッとするところも有った。
よくこんな少ない分量でこの内容が書けるものだと感心している。
執拗に読みたかったものが読めて、今日は満足している。心地よさは、朝早くから働いていたせいもある。
本日の業務はこれにて終了仕る。