運命は ふとしたことで始まり ちょっとしたことで結節となり 行方が変わる 我が肺の結節の様に。

6時半起床。天気は曇り。目覚め眠し。


23時現在。施設着。
千葉大呼吸器の診察は、肺炎を完治ということで、大きな安心。医師も喜んでくれて、長かったねと労いの言葉をくれた。先日のCTで僅かに結節が残っているが、あとは泌尿器で経過観察をしていれば何かあってもすぐに対応するからという。有難いことだ。
何故千葉大にすべてを任せているかといえば、何科にかかってもデータを共有して判断できるという当たり前のことからなんだ。とはいえ、まさか単なる風邪で千葉大にかかるような迷惑なことはしない。


千葉大の診察終了は、開始時間が遅れたために目論見より1時間遅れてしまった。よって、大阪の到着も14時半となってしまった。
資料作りは既に控えていた。が、PCの調子が悪いWebメールが開かない。
イライラしながらも、会議資料作成、打ち合わせと進めていったが、自分の仕事と取り組めたのは、ようやく19時近くになってのこと。22時過ぎまで、目途がつくまで、頑張って見たが一部パスワードが開かずに見送った重要な資料作成は明日に持ち越すことに。


目の疲れは、やはり強く、目薬が手放せない。今度は画面の大きいPCを購入しなければならないな。真剣に考えている。
明日は一日中会議となるが、そうしてどの位で終業となるかは不明だが、気晴らしに騒ごうと思っている。


本日の車中読書は”中原の虹2”の後段。
この本は”蒼穹の昴”と対をなすものだ。なかなかに感じさせてくれる。人が生きていく時に忘れてはならないこと、失ってはいけないもの、それが何かを伝えてくれる。
信念を貫くもの、それは何か、まず自分に問うてみることだ。次は委ねる相手に問うてみることだ。答えは返ってこないかもしれないが、問い続けてみることだ。信念は情熱や意気込みではないように思われる。そんなチャラチャラしたものではないようにも。
鏡に映った自分の姿を見れば分かる簡単なことなのかもしれない。また、内臓に手を突っ込んで心を掴んでみなければ分からないことかもしれない。
いずれにしても、こんな病気だらけの人間でも、まだ地獄を見なければ分からないことかもしれない。肉体の痛みより遥かに辛く苦しい心の痛みに到達しなければならないのだろう。


朝:納豆サンド、サラダ
昼:のぞみ車中で和食駅弁(700KCal)
晩:コンビニ調達の海鮮かた焼きそば(700KCal)