この数日の 政界の常識のなさ 節操のなさ 信念のなさには 呆れてしまう ビジネスマンと入れ替わったらいかがかな。

おはようございます。
4時起床。天気は快晴。目覚め快調、よーく寝ました。
本日の予定は、まとめ事、調整事に終始。


2125現在。帰宅。
今日はさほどの慌ただしさではなかったな。とはいえ勿論積み残しはあるのだが、今日は月曜日ということもあり、そこそこにして切り上げた。明日からは、慌ただしさも格別となる。
本日の車中読書は、”空の中”の半ばというところかな。有川浩さんの物語は、状況設定は破天荒だが、構成(展開)は非常にハリウッドシナリオの論理に適合している。


2230現在。
久しぶりに原稿に手を入れていた。いつになったら完成できるのか。最近は全くの暇なしで・・・なんて弁解は吐きたくもないが、やはり原点を忘れては、何のために生きているのか分からない。
今朝電車の中で、ショートストーリーのネタを思いついたので、個性のメモだけは書いておいた。取り組むのは、今のとりかかっている原稿が終わってからになる。
昨日、活字中毒ではないか、面白さのみに流されてはいけない、しっかりとした古典を読むことを薦める、という痛い指摘をいただいたが、教訓といたします。しかし、自分にとっては読むことが楽しい訳ではなく、また読書家という訳ではないと思っています。
2つの理由があり、毎日読書しているだけのことでしょうか。
①少なくとも文筆家の端くれとして、文章修業を怠らないように。それも現代に生きる人間の心の在り様を、どの様に言葉で表すかについて修業しているつもりなんです。
②都合よく、また運命というか、仕事が人との強い接点を持ち調整する役柄なこともあり、その多くの相手方の心情が何処にあり、どう一緒に考えていけばよいのか、をいつも思考しています。小説はあながち奇想天外な話しや物語ばかりでなく、どのような局面であっても人の心を言い当てていると思っています。作家は、荒唐無稽な話の中にでも、伝えたい人の心を織り交ぜていると考えています。


いつもこんな気持ちで、車中読書を重ねております。
問われて見れば、自分を中心に置いて批評的に読み進めることは全くしてはいないことに気がついています。何故でしょうね。考えてみれば、道具としてでしか読んでいないからでしょうね。批評する前に既に自分の中で捨象しているからでしょうか。
結局は、自分の創作物のエキス(エキスという言葉を使えばいいとこどりに聞こえるかもしれません)や堆肥として読書しているのでしょうか。


朝:カレーパン、サラダ、ヨーグルト
昼:六文
晩:鶏肉とキャベツのトマトソース煮、三穀物米ご飯、お味噌汁