いまはもう秋、と歌が流れてキュンとする、誰もいない海にたたずんで、私の心が波間に揺られて行くのを見る切ない気持ち。

おはようございます。
綺麗な星空です。
さあ、今日も善き一日でありますように。


夜が明け始めると、カラスが鳴き始めた。もう少し綺麗な声だといいのだが、何だかダミ声のカラスさんだ。
さて、昨日読了の、企業参謀ノートについて。
非常に分かりやすく、引き込まれるように読み終えた。自分が参謀たり得るか。正直それを思わざるを得ない。恥ずかしい思いである。
並行して読んでいる、100の思考実験、ではないが、思考を飛躍して、この参謀たり得るを、まずは自分が自分の参謀となり得ているかを強く感じてもいる。
答えは、否であろう。
自制の心は若い頃より強く作動するが、それはあくまで経験の中から生まれた防御の姿勢なるが故であり、決して参謀たる別の自分がサゼッションしているわけではない。
つまり、今に流されて生きているだけのこと。精一杯の努力はしているものの、重要な決断に理性を働かせている、とは言い難い。
この本、自分でも購入してみようと考えている。
参謀とは何かを、改めて噛み締めて見たい。
いい本でした。


1915現在。京成上野駅
電車待ちの珈琲タイムです。
今日は、まことに慌ただしく、いつもながらですが、昼食はキーボードを打ちながら買ってきてもらったサンドイッチとジュースで済ませました。とにかく資料が間に合わずという状況です。
この土日も、このスタイルのまま過ごすことでしょう。
来週の火曜日が会社の健診なので、しばしのブレークタイムを取ることができますが、再来週の週末までは大忙しが続きましょう。


さて、昨日から読み始めた、ツナギ、という本。亡くなった人に一回限りで会うことができる、仲介者と依頼人の物語。
さて、自分だったら誰と会いたいか。それは母と即答するでしょう。
この物語を読んでいて、もう30年も前に亡くなった母のことを思い出している。自分の人生の中で一番生活が荒れていて、苦しみばかりを父親と共に味合わせていた。何の恩返しも、親孝行もできないままに呆気なく逝ってしまった。持ち家ができて、やっとこれからだね、と明るい顔で話し合ってすぐのことだった。
感傷に浸ってばかりはいられない。タバコと吸ってさあ帰ろう。