初春に 巡り会いし 梅の花 気高き香り 気高き心。

おはようございます。千葉の朝は快晴です。気持ちのいい朝です。新聞を取りに庭に出てみると、空気はピリッと、ヒヤッとしています。そんな中での深呼吸は、風邪引きでの汚れた肺の空気が入れ替わります。


よく寝ました。私の体調の維持に必要なものは睡眠が一番のようです。今月は、大阪出張が連続します。出張で唯一の利点は、会社の近くで宿泊するので、睡眠時間が少なくとも6時間は取れることでしょうか。コンビニ食事などの味気なさを乗り越えてでも睡眠時間の多さは何よりなことです。最近は定宿が取れないせいもあって、施設のレストランでの夕食もしなくなりましたし、どうせ一人で食べるなら、部屋にこもって食べましょう、という気持ちです。


本日の予定は、お昼に宗吾霊堂にお札を納めに参ります。毎年の事ですが、甚兵衛蕎麦を食べてきます。さらに雑魚煮も買ってまいります。これは義母が大変気に入っており、三食のお供なんだそうです。


1150現在。赤猫異聞読了。
いい読み物でございました。最近、時代物が世の中で流行っているのも、このような気性に触れやすいからなのでございましょうか。
生きるという事について、我らは様々な事象との出会いが起こります。その時々にどの様な性根を添えて生きれば良いのかを教えてくれる本でございました。
もう最後の方でございましたが、いい言葉を発見しましたので、ここに書き留めておくことにいたしましょう。


嘘をつかずに実を貫かんとすれば、それはそれで苦労な人生となりましょう。だが、それはそれでよいのです。この世は、百千万の嘘に充ち満ちているが、真実は一つきりにございますゆえ。百千万の方便に頭を悩ますよりは、一つの真実で苦労したほうがずっと楽でございますよ。


それともう一つございます。


法は、民の父母なり。


これらの言葉、身に染み入ります。
私の今の心情にもピタリとはまるようでございます。
これからお参りをいたします、佐倉宗吾霊堂にもかような男たちの時代の心が燃えていたのでございましょう。


1925現在。
ポカポカと暖かい小春日和の宗吾霊堂でした。お札をお返しし、いつものように境内の裏手に回り梅の香を聴きに参りました。この数年は、正月明けにはまだ蕾も固く香も致しませんでしたが、本日は違いました。暖かい日が続いたせいでしょうね、もう花が開いておりました。僅かな数でしたが。今日の私には、風邪のせいか梅の香を感じることはできませんでしたが、連れ合いには満足できたようです。
お参りの後は、いつものように甚兵衛蕎麦にて盛りを2枚。義母がお腹いっぱいというのでそれも少し頂きました。欲の皮が突っ張るとバチは当たるもので、私は今もなおお腹いっぱいでございます。あとで胸焼けを起こさないために太田胃酸を飲んでおくことに致します。
そんなこんなにて、大変平和な一日を過ごしておりました。
本日からの読書は、朝井リョウさんの、もういちど生まれる、というものです。違う作家を、という思いで書店を訪れるのですが、なかなかに気をひくものがなくってね。