おはようございます。
ポツリポツリと雨粒が落ちてきました。ハイビスカスは、また再び大輪を咲かせています。
朝起きて直ぐに、あーあ疲れたとため息をついたようで、何なのそれは、と連れ合いから教育的指導が入りました。
最近の精神的明るさ不足が表れた結果でしょう。病は気から、改めましょう。


今日から、佐倉の秋祭りですが、雨が心配ですね。とは言え、今年は義母の入院前なので祭りに繰り出すことはできませんが。朝のNHK番組で、常磐線の旅を見ていましたら、石岡の祭りを取り上げていました。女性が活躍する祭りだということでした。中でも手話をベースにした手踊りは、美しかったな。ジンときてしまった。
祭りはいいな。ことに若者が活き活きとした笑顔で神輿を担いだり山車を曳いたりする姿は誠に美しい。いつもウルウルしてしまうんだ。


1220現在。
若き研究者のドキュメンタリーを見ていた。再生医療の研究者で肝臓の再生医療の研究者だ。世界でも注目されているというが、全く普通の屈託無い青年だ。しかし着想が非常にユニークだという。肝臓のような大きな臓器の再生を考えるときにそのまま置き換えられる代替物を考えるのは極めて難しいらしく、彼はミクロな代替物を代替物として馴染ませながら増やし、徐々に全てに取って代わるという研究だという。
その中で出てきた言葉に、ラジアルシンキングというものがあった。放射状のあらゆる視点から発想を進めると言うものだ。後で検索してみよう。
私は長らく発想法や思考支援に情熱を持って取り組んできたが、最近思うことは、天才とは、彼らには思考そのものが持って生まれた視座があるのだ。そして凡人には、あえてその視座をトリガーとして与えなければ、飛び越えて発想を生み出すことができないのだ。そのためにも、思考支援には大きな意味があるのだと。


まだ空からは雨粒がポツリポツリと降っている。TVを眺めているが、再生医療といい、村興しといい、いい番組が多かったな。村興しに取り組む指導者が、聞き書きという言葉を使っていた。足元にあることを見つめ直すことから再興が出来るんだと。大きなことを、手に余ることを考えても、夢に留まり実現はできないという。
これは先の再生医療の研究者の発想と通じるね。


2040現在。
今日はのんびりした一日だったな。天気予報は大外れで、大雨から晴れたり曇ったりの天気でした。