心地よい

疲れが身体を回っている。ジョイフルで2時間ほどのんびりと歩いたからだ。
丁度今、食事のあとに読みかけの”深夜特急4巻:イラン方面”を読み終えたところだ。ジャックルーシエのプレイバッハ”G線上のアリア”を聴きながら。自分でも2度読みする本は珍しい。
このあとは、かみさんにつきあって○▲殺人事件を見る。見ながら寝てしまうでありましょう。たぶん。
この日記がどんな体裁で届けられるか楽しみです。こうやって自分の日常のたわいない話を書き綴っているのも、書き捨てるためではなく、いつかは再び対面する思いであったのかも知れない。そんな気がします。
近頃、感情に溢れた言葉が、思いもよらぬ反応を起こすことによく出くわします。それもTVニュースで。一つはイラクの日本人人質事件。もう一つは小泉首相北朝鮮に行って拉致家族の子供たちと伴に帰国したときの救う会の会見である。いずれもその瞬間大きな不快感を感じたが、人間余りに不用意に言葉を使ってはならないという教訓をよく表している。人間は言葉で生きる動物であり、一度飛び出した言葉の修正はなかなか効くものではない。自分でも、そんな意味で言ったことではないのに、と思っても、生まれた誤解はほとんど解けることはない。のだ。
文章を書くことを、ほんの少しだけ生業にしていると、近頃の無防備な、よく言えば率直な、悪く言えば考え無しに、使われる言葉のなんと多いことか。を強く感じるのです。それだけにこの日記は、日常の小さな幸せ、大きな喜びを書き綴っていくのでありまするする。
キョウの新聞のコラムに、伊丹十三氏のことが出ていた。同氏とは一度だけ面識がある。”アダルトオフロードライダー”というバイクの本を書いたときに、同氏もバイクに乗るということを知り、本の帯を書いてもらおうということを自分で発案し、担当編集者に頼んだところ二の足を踏まれてしまった。では自分で行く。と宣言し、同氏のご自宅に伺った。もちろんアポイントだけは編集者に入れてもらったが。同氏は、自宅の玄関でラフな格好で相手をしてくれた。”よく著者の方がお一人でこられましたね”と第一声。一応の状況をお話しお願いをするが、知己のない方に推薦文は書けない。との一点張りであった。お互いバイクのりだからという勝手な思いも通じずじまい。丁重には対応してくれ、頑張ってくださいと励まされ、すごすご。しかし、その時以来、ファンでありました。よって、自殺のニュースを聞いたときには驚き、悲しみました。才能ある人は、自分を見つめる目も厳しい。