病んだ腎でもいいからと 苦しむ患者の顔が見える 涙が見える。

4時半起床。天気快晴。満天に輝くお月様とお星様。神々しいほどの輝きだ。気温は寒い。ポイシンを着てもブルブル。目覚めは快調なんだが、昨夜も23時までMacに向かい作業をしていたので寝不足かもしれない。また電車で睡眠か。
作業はようやく終了し、同窓会DVDは完成した。今週末に人数分のプレスを行うことにしよう。しかし思い切り時間がかかってしまったな。パワーブックのHDDの容量が少ないことを、外付けでカバーすること、ファイヤーワイヤーでカメラ・HDDとシリーズにつなぐことができること。また、パワーブックのiMovieでは、編集後音声が付いていないように見えてもカメラやDVDなどのメディアに吐き出せば、音は付いていると言う不具合があることなどが判明した。これでは音の編集が全く出来ない。原因は何かな。iMovieの再インストールをしてみたんだが。何かで不具合について書いてあるものを見たことがあるような。iMovieとOSのバージョンとカメラの相性だったかな。思い出せない。


それにしても、この数日ニュースを賑わしている腎臓移植のこと、とても他人事ではない。自分の腎臓が癌や何かの障害を持って除去されることは、医者の説明がきちんとなされれば得心して手術に向かうことが出来る。その腎臓が、障害を持った腎臓が、腎機能の不全により苦しんでいる人に与えられて少しでも苦しみから逃れられることも充分に理解できる。そのくらい苦しいということだろう。
しかし、その両方のことが一人の慢心した医師の簡単な判断で行われるとすれば、腎臓はひょっとすると除去する必要がなかったのではないかという大きな不安な気持ちにさせてしまう。移植されるほうも、人体実験されているのではないかという不安に苛まれることになる。
腎癌で腎臓を一つ除去した自分にとって、とても他人事ではない。
残された1つの腎臓の数字が少しずつではあるが段々悪くなってきている。この先悪くならないことを願うが、最悪の事態にでもなればどんな腎臓でも命を繋げればいいと思うときも来るのだろうな。その時は、多くの医師の意見を聞かせてもらうことを望み、密室のように進めて欲しくはないときっと思うだろう。


8時10分現在。竹橋は快晴。肌寒さを感じる。あっという間に冬が到来するのだ。車中、ややパンク侍。のち熟睡スイ。今日は難題も片づいたし早く寝れるぞ。


12時25分現在。昼食終了。お握りやさんに行くために外にでる。寒いこと。久々のお握りはやはり美味しい。
このあとちょっと散歩してこようかな。


20時半現在。夕食終了。直前に馬3実行。今日は心置きなく早く寝よう。面白そうな映画もないし。
帰りの車中は殆ど座れなかったので何もせず、居眠りも出来ず。でありました。折角、最後の文学界をピックアップしてきたのに。文芸春秋は10日に来るそうだ。この本屋さんの最終日である。今日のお客はそこそこ居たな。惜しまれる。なにせ15人も店に入れば見たいものも見ることが出来ず押し競饅頭状態の本屋さんなんですから。