人生の節目かと

昨日の夕方からの空虚な感じが、再び頭をもたげてきた。仕事をはじめとして、人生のあらゆることの節目の頃なんだろうな。いいほうに解釈して自分を治めることに。
いつもはこんな感じのときに、詩歌や散文の切り口が生まれてくるのだが、空虚では、本当に心に穴が出来たようで、何も意欲が湧いてこない。こんなこともあるんだな。


気持ちの沈みには、母親の命日が近いことも起因しているかもしれない。
27年ほど前に、母は58歳で逝ってしまった。自分はその母の歳を既に5年も通り過ぎてしまった。
自分の家を持つことが出来、これからようやく幸せな日々を送ってもらえる、という矢先だった。
それまで、どれだけ惨めな引越しを繰り返してきたことだろう。
小さな庭もある、戸建てを中古で買った。本当にこれからのんびりと言うときだった。
なんとも悲しい別れだった。
親父と自分のわがまま放題が、母の命を奪ったんだと思っている。
家計の足しにしようとして、保険の外交員を始めて間もなく体調を壊し、病院にいくと子宮癌の宣告を受けた。長い間症状があったんだろうが、耐えていたようだ。
義弟が勤める恵比寿の病院で手術をして、医者は取り切れていないと言っていた。兎にも角にも自宅で静養しようということで、戻ってきて幾日か経ったときだ。今度は脳血栓で倒れてしまった。
半身不随となり、言葉も全く喋れなくなってしまった。こんな辛い思いをさせることがあっていいのだろうか。呪うような気持ちだった。
救急車で、千葉の自宅から救急車で恵比寿まで運ばれたそうだ。いまも自分は、救急車が傍を通る時には必ず、頑張れ、頑張れと言葉をかけている。苦しさの中、長距離を運ばれていく母の気持ちと自分が同化しているんだ。
たまたま、自分の勤務する会社も恵比寿にあったため、毎朝早く起きて付き添いに行った。
しかし自宅から2時間を要するために、病院の朝食時間には到底間に合わなかった。
多床室に、母のベッドだけ手付かずの朝食が残っているのが、虚しかった。なんとも悲しかった。いまもその光景を思い出すだけで、涙が止め処なくこぼれてくる。自分の情けなさ、不甲斐なさに叫び声を上げたくなるような気持ちが襲ってくる。


そんなある日、付き添いに行くと、食事を載せるテーブルの上に、小さなメモ用紙が乗っていた。驚くような震える字で”ありがとう”と書いてあった。そして私の顔を見て、思うように言葉にならない唇が、苦しく、たどたどしく、もどかしく”あ り が と う”と言っていた。
つらかった。
いまもその書付は大事に持っている。が、見ることができない。余りにも辛くて手に取ることが出来ない。自分が焼き場に入るときに、一緒に焼いてもらおうと思っている。
優しい母だった。綺麗な母だった。本当に綺麗な母だった。そんな母を苦しめた。
いまは毎日、仏壇で母に向かい合っているのが、せめてもの償いであろう。

あるとき自分が大病を患った。癌だった。ほぼ母が逝った歳と同じ年代であった。もうこれで自分も終わりなんだなと思った。だが幸運にも救われた。
それ以来、新たに授かった命だと思い、一心不乱に、そしてこれまで以上に、仕事をし、走り続けてきた。
それもこれも、共に走り続けてくれる、支えてくれる仲間がいたからできたことだ。ありがたいことだ。そう、これからは恩返しの時なんだ。
遥かに人生の折り返し点は過ぎている。ゆっくりと恩返しをしようじゃないかと思っている。
が、時々は今日のように、虚しさに襲われ、はたまた熱い情熱に駆られる。
人間は、不思議なものだな。
まだまだ悟りきれない自分がここにいる。