同志逝く無念の中に言葉無く。

おはようございます。
快晴です。よく寝ました。
本日は出勤の土曜日なんですが、明日から出張するために休みを入れ替えました。明日から、大阪事務所の移転のため、移転先での建て込み立会いとなります。広々としたただの空間も、間仕切りが入れば事務所らしくなるでしょうか。形を変えていくその変化の途中が面白いですね。古くから事務所移転の指揮をとるのは何十回となるでしょうか。


本日は仕事準備の日といたします。未来のために本を読み、現在小説は手元にありません、仕込みをいたします。併せて、来週から始まる新しい展開について計画化いたします。大きな変革のための準備は、構想や段取り、詳細には手続きも含め広範な領域におよび、また慎重を期さねばなりません。


きょうは、阪神淡路大震災から20年経った日です。あの日、高松の仕事をしていて、この日はたまたま徹夜で自宅で仕事をしていました。追い込まれていた仕事でした。TVを点けっぱなしにして、ストーブを焚いて机に向かってましたら突然のNHKニュースが飛び込んできました。NHK職員の仮眠室で人が飛ばされた状況が何度も繰り返されました。それが、今の我が社とNHKの共同開発の製品によるものだと知る由もなく。
その数日後、高松へ向かう途中、新幹線は大阪岡山間が不通で臨時バスが出ており、そのバスは神戸の街中を経由して行きました。まるで地獄絵を見るような恐怖を覚えました。
高松ではトラブルを抱えながら3ヶ月ほど駐在しましたが、のちに紛争となり調停にまで発展しました。それまであまり苦労することもなく仕事をしてきた人生でしたが、この紛争が私の人生の転機となりましたね。
非常に著名な弁護士先生が我々の側に立ってくれ、調停は見事に完全勝訴となりましたが、その間の疲労感は今もなお蘇ってきます。
弁護士の先生は当時からご高齢でしたが、私を大変可愛がってくれ、とてもロッキード事件や高名な政治家の弁護をされた方には見えませんでしたが、毎日のように築地の事務所に伺い、先生にPCやインターネットのレクチャーなどもしておりました。
ちょうど1995年は、震災から始まり、サリン事件と続きました。私は毎日日比谷線であの時刻を通勤しておりました。ただその前後は高松に出張しており、携帯に家から電話が掛かってきて、今何処にいるのかという確認とサリン事件のことを知りました。
また当時からPCの仕事をしていた自分にとっては、Windows95の発売とインターネット元年としての記念する年でもありました。当時は、プロバイダー事業を興すという計画のもと取り組んでおりましたが、まだ私の頭の中はインターネットの未来よりは、マルチメディアの未来で一杯でした。当時は、別ものとして認識しておりました。いまはインターネットはマルチメディアが基本であることを考えれば、私にはあまりにも先見の見通しがありませんでしたね。


1105現在。
チャンスを広げる思考トレーニングを読了しました。ビジネス書で涙が出るのは初めての経験でした。この本、タイトルが余りにもHowtoでありすぎますね。心理学と言うものです。著者は豊富な事例で心に入り込み、その事例の示唆が胸に刺さる。読む者全てが、教わるのでなく自ら感じ取れるように設えられている。著者の優しさである。
本のタイトルといえば、先日読んだ稲盛和夫さんの成功の要諦、内容は稲盛和夫さんの人となり触れて感動したが、私はこの書名については稲盛和夫さん自身も抵抗を感じているのではないかと思っている。いかにも編集者や出版社がつけたように感じる。稲盛和夫さんほどの名声がある方なら、売ることに終始したタイトルはつけないほうが良いと思う。内容が素晴らしいだけに。成功という言葉か、要諦という言葉のどちらかに執着があったのだろうが、私は要諦という言葉に惹かれたが、内容を考えたら、成功の要諦ではあまりにも人間臭い。



本日からのお勉強は、スライドロジー プレゼンテーションビジュアルの革新、というもの。新聞やネットでの書評に紹介されていたものです。


1333現在。同志逝く無念の中に言葉無く。
同い年の元役員の訃報が届く。昨年暮れにひっそりと逝かれたようだ。現在の会社では同じ職務に従事しており、様々に話をしてきた同志であり戦友であった。
言葉もなく、ご冥福を祈るばかりだ。