余りによく寝ましたがために、実に多くの夢にまみれていましたが、都度目覚めてみれば何一つ思い出すこともなく、今朝は今朝とて、3時に目が覚めウツラウツラとしながらTVで世界のニュースを浴びながら、多くの人がテロによりなくなっていることを知り、我が国の、いや我が人生の実に平和で幸せなことを胸にし、幸せな転寝を噛み締め、ようやく朝が鳥のさえずりとなるいま起きだして、窓の外を見ると、昨日と変わらず小雨降り、お天道様には巡り会わず、桜の花とも忍び会うことままならない今日の一日が一年の別れ話となってしまうかと思えば、寂しさ一入に覆われています。


1230現在。
霧雨が降っていますが、意を決して花見ついでに買い物に出掛けることにしましたが、何あろう心寂しき思いを断ち、明るい明日からのため少しでもという暗示をかけるためで、お風呂に入り身を清め、体重を量りますれば68.6Kgという新記録も出て、もうこの位に止めなければ別の病が忍び込むやもという思いに囚われて、とにかく儚い命ではありますが、まだまだ夢には一分も達せず、何かのきっかけや、踏み止まる足場や杭になれないものかと歯を食いしばり、年の功だけの威光を借りて偉そうに気丈に言葉ばかりを重ねておりますが、いまここで激しく奮い立たねば我が命の価値もなく、後に受け継ぐ人に偉そうな背も見せることも叶わず、もはや僅かな言葉だけが繋がりの全てとしたくはなく、この痕跡を残すために桜の花色に心を染め、清しい気持ちで明日からの僅かな歩みとする、そんな想いがどうか祈りとなって天に届きますように。


1600現在。
お買い物がてら花見に行ってまいりましたが、霧雨の中満開の桜の長い長い連なりは圧巻で、しばし花に酔い、歩く姿もフラフラとするが故にタリーズ珈琲で一服し活力を取り戻し、我が家の近傍を車で通れば、また一つ長い桜並木に出会い、くすんだ空ではありますが、薄いピンクの連なりが、これまた一つの風情なのかしらんと、妙に己を納得させておりましたら、不思議なことに古きいろは歌を思い出し、何度も何度も繰り返し頭の中を巡りおり、先程は桜の花に近寄りて香りを嗅ぐも薫りなく、ちと、いろは歌とは異なりまする。
いろはにほへと ちりぬるを わかよたれそ つねならむ ういのおくやま けふこえて あさきゆめみし えひもせすん。
この歌は、私がモールス信号の最初授業で時間で習った歌でありまして、いまも完璧に頭の中に残っております。国語の授業でないところが通信士養成課程の面白きところです。モールス信号は、アイウエオでは憶えなくて、必ずいろはの順で覚えるのです。このいろは歌諸行無常を表す歌なのです。最近の私の気持ちにぴったりであります。
色は匂へど 散りぬるを
我が世誰そ 常ならむ
有為の奥山 今日越えて
浅き夢見じ 酔ひもせず