おはようございます。
千葉は小雨が降っています。
昨夕はちょっと飲みすぎましたかね。量はそれほどでもなかったのですが、体調が十分でありませんでしたから低いレベルでの飽和状態となりました。
電車も寝込んでしまって危うく乗り過ごすところでした。
本日は、午後から仕事です。現在は気力が未だ充実していません。
明日は、休みたいな。天気も良さそうだし。外の空気を吸ってみたい。


長らく読み続けている三四郎は、終盤に差し掛かっている。毎日数頁だから仕方がない。勿論出張になれば読むことが出来ない。しかし、時代の風景は毎日頭を巡っている。巻末には、界隈の古地図も出ているので、最後には突き合わせてみよう。いまの事務所あたりも載っていることだろう。
一昨日からの車中読書は、吉田修一さんの、路、というもの。好きだねこの作家。


1800現在。
グダグダとした一日だった。のんびりしたといえばその通りだが、解放されたかと言えばそうではない。
TVで黒の報告書を観ていたが、自分の中にキラリと閃いたことがあった。何かのアイデアではなく、これまでの自分の進んできた路について気がついたことがあったのだ。
これまで、何かに憑かれるように仕事にのめり込んできたが、そののめり込む時に、小さな光が、時に大きな光が、遠くに自分の中に一直線に見えて、そこを目指してひたすら走ってきた。近くまで来ると、また迷い逡巡するが、また新たな光を遠くに発見し追いかけていく。そんな繰り返しだった。そんなことに気がついた。光というのは、得心する筋道や納得と言った方が分かりやすいだろう。
続く。



2015現在。続き。
そんな中、自分には何時も時代時代のAチームができていた。どのようにして出来て行ったのか振り返ってみた。
自分は、大昔からかなりの我儘で人の言うこともあまり聞くこともなく、自分の思ってきたことを感性のまま行動に移してきた。これが良いのか悪いのかの評価は周りの人に委ねるしかない。しかし、当時の上司は許してくれた。むしろ応援してくれた。私にとっては実に良い環境だった。
当然のごとく、憎まれもしたし、嫉みもされた。
気にする性格ではないから、やりようを変えることはなかった。
年相応に部下も割り当てられた。私の我儘に、反逆して配置を願い出て去っていく人もいた。しかし、招来の我儘が、たまたまヒット作品を生み出しており、直感で生きる生き方と力に傾倒する部下が自然と増えてきた。
当時の仕事振りは、受注仕事の後半は、会社に寝泊まりして取り組んでいた。というよりは、極めて技術的にチャレンジな仕事だったので間に合わなかったのだ。
こんな仕事によく付き合ってくれたのが私のAチームなんだ。私は、人を育てるのが得意ではない。様々なアイデアを出し、実現して行く姿を背中で見せ、憧れについてきてくれることでしかなかった。また、絶対的にそれで良いと確信していた。いまもそれは変わらない。
もう離れ離れになったAチームのメンバーが、いまも付き合いを重ねてくれているのは、ああなりたい、という憧れを抱かせることだと思っている。だからこそ、いまは自分でも育てる力のなさに、或いは分野違いに躊躇している。けれどやり直そうとは思ってはいない。
いまでも仕事の切れ味や直感力は、引けを取らないと思っているが、自信過剰でもあろう。けれど、人は自分に自信を持つことが大事だと思っている。いま悩んでいる人も、きっと光るものがある。それは自分で見えないのだろう、でも私には見えるんだ。その光をもっと磨けば心配しなくても人はついてくる。ついてこない人は見切れば良い。それだけのことだと思えば良い。
自信を持て。力はあるんだ。それに集中すれば良い。直接的に人を育てなくても間接的に育つことがある。けれどそんなことはどうでも良いことだ。まずは光るものをより磨きなさい。オールマイティなんて目指す必要はありませんよ。
私はこれからも、新しいAチームと新しい仕事を花開かせるつもりであります。それが何かは、まだ分かりませんが。
短くも燃える人生でありたい。実に歪で半端な人間だけれど。それがまた良い。
今日はゴロゴロした挙句に、結局寝ます。
明日またお会いしましょうか。