おはようございます、というか、こんにちはの時間ですね。
よく寝ました。
昨夜は誠に楽しい酒でした。よく喋ったので喉が枯れています。
心配していた就活の子は、内定を貰ったとのこと。肩の荷もおり表情もスッカリ明るくなっていた。秋からも挑戦をすると言っていたが、この自信はきっと新たな展開を見せることになるでしょう。
博多料理の居酒屋さんで祝杯をあげたが、若い彼らはちょっと物足りなかったかもしれないな。それにしても皆よくしゃべったなー。


本日の予定はまだ無い。


1250現在。
今日の朝日新聞Bee版に吉田類さんが取り上げられていた。上となっているから中、下と続くのだろう。元々は漫画家だったというが、その後ヨーロッパに渡り漂流が始まる。ここでいう漂流は、受け身としての漂流ではなく、自らの強い意志での漂流だ。
これまで何度か酒場放浪記の番組を見たが、いわば流し見程度であった。しかし、今日の記事で強い興味を抱いた。
自らの意志による漂流とは、私はかつての昔、沢木耕太郎さんに惹かれたことに符合するのかもしれない。
突き詰めて言えば、私は漂流しているのだろうか?と問いたい。
漂流とは根無し草のことだろうか。
では、私に根はあるのだろうか。
根はある。断言はできる。その根とは、私が生きるという根であり、信じる人と同根であるということだけだろう。
それ以外の根は、申し訳ないが有りようも無い。
元々が自由人なので、いまは同根の根がピンと張る一杯一杯のところまで漂流を楽しみたいと思っている。
これからは、ますます一人酒も増えることだろうが、番組のように私は食通では無いので、自分を摘みに飲むだけだろう。


長い時間がかかった中上健次さんを漸く読了した。何かハッキリとは分からないが、いままで読んできた小説とは世界が異なる匂いというか風を感じた。暗い世界ではあったが、真暗闇というわけでなく、薄闇の中にそれぞれが暮らす蠢きが聞こえた。
昨夜も、本の話で盛り上がった。若者と本の話ができることが一番だ。


昨日、戦友からメールが来た。深い悩みを抱えているのではないか?との心配のメールだった。先週末の会話やFacebookでの呟きがそう感じさせたのかも知れない。
自分の懐の浅さを感じている。
深い悩みを抱えているわけではない、苦しい状況にあることは確かだが。また、健康に不安を持っていることも確かだが、危機的ではない。
もう少し、昔の様に笑顔一杯で過ごすことに努めようか。


1840現在。
幕張のイオンモールで買い物をしてきた。広大なスペースの中を巡り少々疲れてしまった。途中でTSUTAYA書店に寄り文学全集を買ってきた。日野啓三さんと開高健さんの巻だ。これから毎日少しずつ読み進めることになる。
このTSUTAYAではギフト券が使えた。上野では使えなかったが、一応聞いてみた。使えない様だったら別の大型書店でと考えていたのでラッキーでした。
疲れたので何軒もある喫茶店で、フレンチトーストサンドとアールグレイを頼んだ。フレンチトーストは好きなんだが、この何年も食べた事がない。メニューにフレンチトーストを扱っている店がとても少ないからだ。今日は満足したな。スイーツの一種としてではなくサンドイッチとしてのフレンチトースト、新しい食べ方で満足したね。


中上健次さんの巻について池澤夏樹さんが解説を書いている。その一節を引用したい。
ーこれだけの中に、わずか7,8ページの間に、中上健次の世界の原理がすべて入っている。この世界の骨格を成すのは母系を辿る世代の連鎖であり、兄弟姉妹は多くてあたりまえであり、それぞれ出稼ぎに出たり女郎になったりする。フサの歳には姉たちはみな「他所の土地の紡績工場にはたらきにいっていた」。そして父親の違う子を産むことや子供たちを捨てて駆け落ちをすることが生き方の選択肢としてあった。こういう時代であり、こういう土地だったのだ。ー
いまの平和で豊かな時代からはとても想像できない生き方が、戦前には存在していたのだ。
だからなんだと言われて仕舞えば言葉の接ぎ穂は全くない。その様な人とは話さないことだ。消耗するだけだからね。
私が言いたいのは、正義や真理とは別に現実の無常、現実の過酷は存在し、その中に生きていかねばならないということだ。しかし、決して悲嘆にくれて己に絶望して命を絶つ道を選ばず、生活の中にふとした喜びや僅かな幸せと平和を見い出し、生きている!、ということだ。


2110現在。
虫の音に包まれている秋の庭。
日中は暑かったものの、疲れもあり夕方から横になっていると涼しい風が部屋を満たしてくれる。鈴虫だろうかリンリンとなく虫の音。秋なんだね。


明日は、少し原稿を進めよう。



2200現在。
そろそろ就寝いたしましょうか。この涼しさでは心地よく寝ることができるでしょう。


最近終の住処を考えることがある。現実には、この地が終の住処となるのだが、夢を語れば京都の賀茂川の近くだなー。下駄履きで、寺社や街の風情を楽しみ、時に庵に篭りて仕事する。まあ夢のまた夢であろうか。
笑顔で過ごせば宝くじも当たり、そんな夢も叶えられよう。
ではまた明日。