おはようございます。
空一面に霞がかかっているようなお天気です。昨日の午後もそうでしたね。春霞というのでしょうか。
気温は暖かいのでしょうが、大変な冷え性になっている自分には、ストーブが欠かせません。相変わらず湯たんぽ入れていますし、厚い靴下を履いて寝ている有様です。


今日はお昼から選挙に行ってまいりましょう。
キーマンにメールを書いて、昨日の言葉の専門家の話をしてみようかと思っています。何より、私が居ない間に定着してしまったあることを止めたいからです。


現在の車中読書は、大変分厚な量子革命ですが、疲れた時の頭休めとして昨日買った、人はなぜ物語を求めるのか、を持ち歩くことにいたします。ストーリーものはもう一冊並行して読んでいますが、今回の本は出足がちょっと硬いかなー、という印象を受けています。


1331現在。
寛いでいます。日向ぼっこしながら、一時期、読み継いでいた日本文学全集の吉田健一さんの巻を読んでいる。評論の第一人者なのであるが全集だから読みこそすれ、単独には買って読むことはないと思っていた。難しい内容なので、後ろのエッセーから読み始めている。
入院中及び退院してから暫くは、全くと言っていいほどに本が読めなかったが、それは気力が湧かなかったことだが、ようやくに毎日時間が有れば読み継ぐことが出来るようになった。嬉しいことだ。本を読むことが、このまま閉ざされてしまえば、と考えることがあったが、恐ろしいことだと怯えていた。
毎日、取り留めもなく読み散らかしていく毎日ではあるが、時間はかかってもいつか必ず読み終える時が来る、と思って、一日一行でも前進させていく。
昨日の夜、宮本輝さんと誰だったか、若い映画監督の対談番組を見ていて宮本輝さんに関心を覚えた。有名な作家で、名前だけは知っていたが、未だ作品を読んだことはない。
番組中の言葉で、胸を打つ強い言葉があった。それは、原稿を書いていて、どうにも不足している、何かが足りないという時がある。そんな時には、次々に文を書き足していこうとしていた。しかし、いまは、何かが足りないと感じた時には、逆に文を削って行かねばならないと思っている、と言った。書かないで書くことだ、とも言葉を重ねた。
自分は、そんな境地に至ってはいないが、その言葉を噛み締めたい。書けば書くほどに、違うものが描かれることは、それは私も感じることがある。



1844現在。
本日の予定は終了です。
期日前投票とホームセンターでの買い物でした。家に帰って車を降りる時に、予てより探していたCD(blessed in music)が見つかった。いつも遠出する時に聴いていた軽やかな歌なんだ。もう随分前になるが、連れ合いと京都知恩院に行った時に、たまたま境内でライブを行っていて、当時はそんな時はいつもCDを買っていた、とてもお気に入りになっていたアルバムだった。あるときに、ふと見つからなくなってずっと探していた。
良かった。暫く仕事の時のBGMはこれになる。
小笠原千秋さんの不思議な歌声に魅了されているんです。なかでもムーンライトセレナーデがとてもね。