1026現在。
おはようございます。陽射しが少し出てきましたが、曇りの朝でございます。
昨日は何か夢でうなされていたようで、叫んでもいたそうです。珍しく母の夢を見ていました。何か不肖の息子に意見したいことがあるのでしょう。
昨夜の電大無線部zoom懇親では、やはりというか定番というか、オーディオ、それも真空管アンプの、話が中心でした。私には不明の専門用語も続々と登場しておりました。それでも聞いていて嫌ではなく、何か懐かしく皆さんの実験話を聞いておりました。私はオーディオにのめり込んだことはありませんが、音楽を聴く分にはなくてはならない存在です。ジャズからフォークまで、音楽は仕事をしている時の必需品であるからです。最近は特に、昨日のzoomにも登場していた親友からもらった、ウエストコーストジャズ、イーストコーストジャズのCDを掛けっぱなしです。非常に対照的なジャズですが、いずれも心地よく仕事を進めさせてくれるのです。

昨日の話題でちょっとだけ自分の話になりましたが、中学生の時に友人のお兄さんの勧めでアマチュア無線の免許を取り、それから船舶通信士に憧れて高校は電波高校に進みました。父親は大反対でしたが、わがままを発揮して押し切って進学しました。通信科コースでしたが、卒業までの3年間は毎年2回ある通信士と技術士の国家試験の受験勉強に明け暮れました。モールス通信の送受信実技は毎日あり、よっていまだに符号は忘れていません。他の授業といえば、国語、社会、物理などの科目はなく、英語は通信用の業務用英語、数学は無線用数学、理科に代わって無線工学などなど、極端な学校でした。
卒業後はその高校の系列大学(工業大学)に進み、受験は工業高校卒業者用の入試科目で行いました。当時は大学紛争の年でもあり、一年未満でその大学は中退し、翌年東京や関西の文化系の大学を受験するために、働きながら予備校に通いましたが、先に述べたように受験科目らしきものは全く習っておらず受験は失敗し、やはり電気の道しかないと思い直し、電大を受けたのです。電大にも工業高校卒業者の受験科目がありましたので救われました。とにかく専門科目は、国家試験向けに徹底的に勉強していましたので得意ではありました。
結局は高校卒業後2年遅れで電大に入りましたが、高校時代には何としても合格できなかった1技及び1通の予備試験には、電大入学後すぐに合格できたことを覚えています。この合格は、それまで苦手だった電気磁気学について、電大の授業により目が開いたように理解できたことによるものです。
私にとっては、高校時代も電大時代も、そしてその親友達も大事なものなのです。そしてそのきっかけとなったアマチュア無線も。

1917現在。
本日の運動は、乗馬2セットとマッサージ2セットでした。

乙AM+2M+M2