1545現在。
朝から強烈な陽射しだ。こんな日は、チンとして過ごす以外にない。


〈Aチームの思い出〉
突然、マイコン事業部という組織を持つことになり優秀な技術社員を1名配属してもらった。自分でもあまりの急展開に驚いた。
いずれにしても会社自体はビジネスソフトウェアの開発会社で、イベントのシステムを開発するような環境にはなかった。大胆にもマイコンを使ったイベント企画を提案し開発と運営までの仕事をいくつも受注することになった。中には、展示会やショールーム、あるいはセミナーでの説明員やコンパニオンなどの派遣まで請け負うことになった。
この派遣仕事は時代もあり繁盛した。B教大の女学生を中心に多くのチームを動かすことになった。
一方、N工大のメンバーは、出版する本に掲載するプログラムの開発や、当時大ブームだった地方博覧会でのゲームや体感型のコンピュータアトラクションのソフト開発に励んでくれた。アルバイト君達の勤め方の要望を聞くと、授業が終わってからだったらどんなに遅くなっても構わない、と言うので、自由出社にして深夜近くまで頑張ってもらった。流石に専門学科の学生君達だったので、アイデアをソフトで実現してくれ、大メーカーからの評判も良く、全国で展開されていく地方博覧会のほぼ全てを請け負うことができた。途中からは、その博覧会での出品する企画のほとんど全てを学生君が作り上げて、私はそのマネージャーというような役割であった。また受注して開発、運営に至るまで学生君達が中心となって采配をふるってくれた。その後、何代もの卒業生に引き継がれてN工大の学生君達とは同じ釜の飯を食べて過ごした。


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