0950現在。
雨が降ったり止んだりの暗い朝でございます。
連れ合い達は、この雨の中をお墓参りに一宮へと出掛けました。まあ午後からは収まるとの予報ですので、ちょっと涼しくなっていいのかも知れませんね。

1541現在。
晴れ間が出てきた。予報通りだね。ずっと居間のマッサージ機に座っているが、日差しを受けて暑くなってきたので、エアコンを入れた。室内温度は30度ちょうどだった。

〈Aチームの思い出〉
定かには思い出せないけれど、私が30歳前後だったろうか、恩師と出会って雑誌連載を始めたのは。そして先生との出会いのすぐのちに最初のAチームが出来上がった。Aチームのメンバーは、N工大とB教大の学生さん達だった。
私は、九州の地元で入った大学を一年で中退して、都合二浪の形でD大に入り、24歳で卒業することができた。私が30歳までの間、前職のソフト会社でどのような仕事をしていたかは、これまた定かに思い出せないが、小さな会社でありながら資料室があり、その整理係やドキュメントの標準化をしていた。何しろ大学時代からコンピュータが嫌いで、プログラマにはなりたくなかったからだ。その会社に入ったのも、大学の途中で自分の貯金が枯渇し、授業料が払えなくなったから。とは言え、再び中退するのも嫌だったので、夜間のアルバイトを探し始めた。この会社が夜間のコンピュータオペレータの募集を新聞に掲載していたので、応募した。アルバイトはダメで正社員でなければ採用しないと言われ、その場で社員になってしまった。背に腹は変えられないからね。コンピュータが嫌いと言っても、操作することには抵抗はなかった。いわば軽作業の肉体労働のようなものだったから。夕方6時から12時までの仕事で終電で家に帰ることもでき、間に合わなければコンピュータルームで仮眠も取れた。
大学を卒業する段になっても、就職試験を受けるなど面倒が嫌で、正社員であったが故にそのまま居続けることにした。最初からプログラマは抵抗していたので、会社も無理強いはしなかったが、せっかく専門の大学を出てもったいないな、と言われれ続けた。
そんないわば技術系の管理部門(言わば閑職)にいたので、雑誌連載の担当に任命されたということだろう。
暇だったと言っても、資料管理では独学で一生懸命情報管理学を学び、ドキュメンテーション標準化では表現や表記について勉強していた。


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