漆黒の心

自分のように根が明るいたちのB型は、人と話していて完全に相手を否定したり、打ちのめしたりすることはなく、というよりできず、結構丸く収めるのを得意としている。だからといって心の底は別かといえば、ほぼ概観や表象と同じであり、単純なのである。
先ごろ、ある酒の席で心底落ち込み、その後もその影を引きずっていることがある。相手の心の中に恨みというか憎しみというか、暗い川が脈々と流れ、とても近寄ることが出来なかった。
どの方角から接近しようとしても硬い殻に阻止される。すべての結論は常に相手方の無神経やルール破りにあり、いつも仕打ちを受けて裏切られ無視されるのは自分だけであるという、被害者の論法で立ち向かわれてしまう。議論は一歩もそこから先に進まない。
人の世界には必ずルールがあり、それを破るものは許せないという、これも非常に硬く強い信念があり、上司であれ、部下であれ、仲間であれ許しはしていないという激しい言葉も聞いた。勿論そのような事実があったからだろう。
ここではその良し悪しについて何かを語ろうというものではない。これも心の態様の一つであると思うからだ。
自分が思うのは、そのようにたった一人で他を拒み、生きていくことの強さと漆黒の闇に生きて行く怖さが、全く想像できないということだ。多分、深い心の奥底で自分の闇と戦い続けている、弱い心の部分もあるのだろう。激しい恐怖感にも襲われているに違いない。それもここでは人それぞれのこととしておこう。
その硬い心に阻まれてしまった、対面してしまった自分の、打ちのめされたこの思い気持ちはどうすればいいのだろう。どうすれば心通わすことが出来るのだろう。ともに同じ環境の中で生きていくときの仲間としての、また先達としての役割をどう果たせばいいのだろう。
また、暗く深い井戸のそこを見るような、あるいは闇に光る冷たい目に射られたときのような、激しい恐怖にどう対応していけばいいのだろうか。人の心にこのような強く暗いものがあることを生まれて初めて知ってしまった。