終戦記念日に思う

誠に遠くに来たもんだ。
まだ青年のような気分ではいるが、それは気分だけにしておこう。
60歳の前後、丁度厄年の前後、大きな体調の変化があった。
自らは気づくことはなかったが、天命により知ることとなった。
御蔭さまで身体は回復に向かっている。しかし、一難去ったのち、我侭は元に戻ろうとしている。人の心の何と弱きことか。

我家の小さな庭に、草花が繁っている。
まだ朝とはいえ、強い日差しに負けるどころか、それを喜びとするように緑を濃く、紅をより赤く風にそよいでいる。
ベイFMから小田和正の澄んだ歌声が、草花の豊かな揺れにあわせ、朝のこの幸せを演出してくれている。
人の業。社会の業。
人の幸せ。社会の幸せ。
幸せってなんなんだろう。
人はみな幸せになりたいと望み、その望みがゆえに人を犠牲にしてしまう。
小さな幸せが大きな幸せにつながるかどうかは分からない。
大きな幸せが小さな幸せの集合とは分からない。
しかし、朝のこの”生きている”という小さな幸せを忘れてしまったら、永遠に幸せはやってこないだろう。

今日は戦争が終わった日だ。大きな犠牲を償った日だ。
いや償いはまだ始まっていないのかもしれない。
まず始めなければならないのは、自分の心と生き方に向き合うことなんだろうな。
人の心に言葉を浴びせるよりも先に、自分の心の真実を改めて掴むことだろう。
本当は自分の心はよく分かっているんだ。知らない振りをしているだけなんだ。
だって心の思いが全て正しいとは限らないんだから。
そこに葛藤もあり、矛盾もあるんだろう。

今日は大きな争いが終わった日だ。
多くの若い人の命を失った日である。

改めて合掌したい。