今日はいったいどうしたんだろう。涙が溢れてとまらない。
多分、夢枕獏さんの”風果つる街”のせいだとおもう。描かれている将棋の真剣師の寂しきこと。1人放浪を重ね流されていく。このような世界から見ると、自分のいる世界がなんと暖かいことかわかる。
歳のせいで涙もろくなっているのは判るのだが、いつも涙しているわけではない、仕事柄、立場上厳しい態度で人に接する時もある。冷たく言い放つ時もある。でもそのあとで無性に悲しくなる。人間って、無情だなと自分に怒りをぶつける時がある。
一番応える涙する時は、やはり本当に悲しい時の涙である。千葉大の病棟のベッドの上で何度泣いただろうか。声は出せないだけに、そのぶん余計に涙が溢れてくる。
自分の病について、ある種の絶望と不安を、千葉大の病室から見える工業地帯の冷え切った冷たい光だけの夜が、一層掻き立てた。
また、同室の患者さんの苦しみが、家族の苦しみや気遣いが、カーテン越しに伝わってきて、また泣いた。
連れ合いや家族がきてくれて、優しい言葉にまた泣いた。
こんな涙はもうごめんだな。本当に悲しいんだ。思い出すだけでもう涙が忍び寄る。
それに比べ、嬉しい時の涙は、格別だ。人の温かさに触れては泣き、映画を観ては泣き、本を読んでは泣く。
嬉しい時に精一杯涙を流し、悲しい時には涙が枯れ果ててればいいのに。
一体今日はどうしたって言うんだろう。