人は様々 真反対の人在り 天は如何にして 斯様なことを為されたのか。

4時半起床。天気は曇り、空は薄墨を流したよう。目覚め快調だが耳鳴り強し。
ふと気がつけば、あれだけ痛かったわき腹の痛みが、全く無くなっている。年に数回、場所を変え症状が現れることは分かっているのだが、強い痛みが出る都度、転移しているのではないかと非常に不安になるのは確かである。


22時現在。怒涛の一日だった。
昨日の続きが、今朝から開始され、相棒に怒涛のメールを送ってしまった。一つは、昨夜から急に相棒がヒッソリしてしまったので、傷ついてはいないか、かなり心配だったこと。
もう一つは、インフルエンザ対応で中途半端な意見(私にとっては、反対のためにとってつけた理由にしか聞こえないが)を聞き、猛烈に怒りを感じたことだ。
恥をさらすのでここで留めるが、相当血圧が高くなってしまって、全く罪もない相棒を苦しめてしまった。
記念行事は、多分これで落ち着くだろう。たとえ自分が参加できなくなっても、もうこれで充分満足はしている。
じっと我慢した相棒の勝利と成果だ。

夕方になり、別案件で急遽会議となり終了したのが19時過ぎ。これは結構重いテーマで、疲れてしまった。しかし、自分の考えている方向と同じ内容なので、疲れたが実りや期待感は強くなった。
来週が正念場だと思っている。自分の役割も、望むところだし、ちょうどいろいろと、怒り心頭が重なっているところなので、思い切って対応するつもりだ。多少の、失敗はあるだろうが一人悪者になれば済むこと。
だが今回、感心したのは、自分にはまだまだ、爆発できるエネルギーが随分残っているということだ。


一つだけ大きな反省をしている。それは昨日の怒りに任せた文章の中で、”偏狭さとの虚しい攻防は、本当に自分の心を虚しくし、優しい心を憎しみの心に変えてしまう。”と書いたことについてだ。この解釈は、次のように訂正したい。
まだ自分には、この偏狭さに対応できる寛容さや説得力が無いというおぼし召しであり、生半可に対応すべきでなく、一旦距離を置いて経験を踏んで出直しなさい。と。そうで無いと、嫌なものは避けて通ることになってしまう。


帰りしな、三省堂によって文庫を買ってきた。当分の電車の友が出来た。
今日はもう寝ることにしよう。明後日から遠出となる。