何様のつもりでいたんだろう。

おはようございます。
7時起床。天気は晴れなんだが、やや雲が多く厚い。気温低し。目覚めは快調。昨夜は、TVで坂本龍一さんの”スコラ(JAZZ編)”を全4回分見たので深夜就寝となってしまったが。
さあ、本日の予定は、千葉大代謝内科の受診となる。13時半からの予約だが、手前での採尿採血があるので12時までには病院に入っておかねばならない。
本年最初の読書は、待合室での”利休にたずねよ”からとなる。


10時20分現在。何様のつもりでいたんだろう。
つい先ほど、病院に出かけるためにお風呂に入っているとき、いろいろなことを思い返していた。
生きていること、生かされていること、亡くなった両親のこと大切な人々のこと等。
この数年のブログを読み返してみて、自分の言葉が謙虚でないことにも気がついていた。
いつか決めたはずなんだ。残りの人生は何のために生かされているかを考えれば自ずと分かるだろうって。贖罪とは言いすぎかもしれないが、自分の信心(信仰心)ではまさしく贖罪以外の何物でもなかろう。母にも父にも連れ合いにも、大切な人々にも。
尽くしてこその生きる意味。己のことに逡巡し思い悩み流されてばかりの毎日など何ら意味も価値もない。
苦悩など自分の心と心中してしまえばいい。


19時20分現在。
病院に行く直前にFAXで来ていた資料を作成し、先ほどメンバーに配信して完了。
検診の結果は、前回12月よりやや悪くなっており、明日からの薬が変わることとなった。強い薬らしく、低血糖になることもあるとのこと。何処かにブドウ糖を取っていた記憶があるので、明日からそれを持ち歩こう。緊急な場合にはコーラがいいと医者が言った。
病院での読書は、”利休にたずねよ”を読了。解説を読んでいると、この著者は安土城建設の物語の著者で、読んだことのある著者だということが判明。あの時も随分感動を覚えたのだった。
この”利休にたずねよ”は、直木賞受賞作である。グイグイと引き込まれて読んでしまった。とてもいい本だったな。
茶道というものの美学についても感じさせられた。無論茶道ということばかりでなく、美しい佇まい、心遣いなど、そこにそのものが設えられようとする配置や形状、あるいはその物は、ただ一つしかないというまでの突き詰め。余りにも適当に生きている自分の意識のなさに行きあたってしまった。
心に脈々と生き続けている想い人のために茶道を極める。そうありたい。


いよいよ明日から仕事始めだ。またあっという間に1年が経ってしまうのだろう。しかし、きょうの深い思いを忘れずに、自分のちっぽけな想いなど捨ててしまい、精進して励むことにしよう。


朝:テリーヌサンド、蒲鉾など
昼:千葉大で天婦羅蕎麦
晩:卵焼き、ふろふき大根、お味噌汁、三穀物米ご飯