責任を取るということ

私のAチームは、決して私に確認の印鑑を求めてこない。つまりは、印鑑を求めるということは、責任はあなたですよという証なんだろう。
そんな行為が一番嫌いだ。
もちろん手続きの一環であることは理解しているが、どんなことでもそれをやられると、その裏が見えてきて嫌悪を感じる。
私は、自分が判断することについて、部下には決して責任を負わせない。もちろん上司にも。
責任はすべて自分が取ればいいことだし、その場で曖昧には判断していないつもりだから。その判断の先で、最悪のことも瞬間考えその対応も考えている。だからその時はこうしようということも伝える。部下は安心して仕事ができるだろう。
悩む時は、正直に悩むことを伝えている。だから部下も、いろいろな道を考えてくれアドバイスをくれる。
そんな関係がとても好きだ。
Aチームも、クリエイティブなチームと業務的なチームがある。
業務のチームは1チームだけだが、人生を共にするパートナーだと思っている。
クリエイティブチームは、何組もある。このメンバーとも一生の付き合いだ。私の瞬間的な判断と、その後の複数の対応策をこれも瞬時に考える癖は、このクリエイティブな仕事から養われたと思っている。
最悪を考えることは、辛いことだが、考えておけばいざという時に腹が座って対応できる。イベントの仕込みで、あゝもうこれでぶち壊しだ、という事態は何度も経験した。しかし、幸運にも破滅することはなかった。丹念に粘り強く、その先の対応を図ってきたからこそ、幸運の女神が微笑んでくれたのだろう。
だから、どんなことがあっても、どんなに忙しくても、しなければならないことを放棄したり、飛ばしたりすることはしない。
いつか書いたけれど、忙しいからこれはごめんなさい、をする人は多いが、私はその人からその仕事を奪って他の人に負わせるだろう。その仕事につきたい人だっているのだから。