おはようございます。
昨夜は25時近くまで、義兄家族と話し込み、いい団欒だったと思います。
今朝は10時過ぎまで寝ていました。
夢見は、シチュエーションこそ異なるが、行き慣れた目的の場所に辿り着くことができず、迷いの中に電車に乗ったり携帯電話を失ったり。今回の場所は母校の大学と会社と親戚のメンバー。山あり谷あり都会ありのいつものように慌てている展開でした。
今年は、すんなりと目的の場所にたどり着き、勝利の祝杯をあげている夢を見る!
きっと、念じが足りないのでしょう。
強く念じればきっと夢見にゴールにたどり着いた夢を見ることができ、現実の世界も疑念なく行動すれば実現できると信じています。


本日からの読書は、熊谷達也さんの邂逅の森、というもの。我が大学から出た直木賞作家だ。
いま毎日、少しずつ読み進めている、立花隆さんの自分史の書き方は、大学の社会人対象の講座を通してまとめあげられたものだが、その受講生はほぼ自分の年代の人達で、非常に共通点があり、自分を思い出すことができている。これは誠に副産物のようなものである。
私が求めているアプローチとは視点が異なるが、十分に団塊の世代の人たちの心の中をキャッチアップしている。時代が求めるテーマだと思っている。このテーマの賞味期限は少なくともあと10年はあると思っている。
このビジネスを、若い人達とも共有して実現できて行けば、きっと若い人達にも、携わることだけで時代とその時代に生きた人達の心意気は通じるものだと思っている。
今の自分の思いは、分からない人たちに、無理して解くことはない、という心境なのだ。感じる人が視野に入っていればそれでいい。
分からない人を見捨てようというのではなく、無言の携わりの中で感じてくれれば、それでいい。感じてくれなければそれはそれでの自分の人生の道だと割り切ることだ、と思っている。
議論して、無用のエネルギーを費やすよりは、何処に生きるかはそれぞれの道だと思うのです。とにかく、このようなテーマは、議論熱中になるものであるが、よしんばそのテーマとなっても、じっくりと聞くだけで、心の中でじっと熟成すれば良い、と思っている。
取り止めのつかない、話の展開だが、老人の呟きと孤独と思っていただければそれで良い。
そして私には、まだ大きな夢があるのです。
くどい話は、これでおしまい。