快晴。追加修正しました。

友人の話は、クラブのママさんが挨拶にやって来て腰を折られてしまった。
まあ、皆さんお久しぶりですこと。お元気なお顔を見て安心しました。今日はいつもの女性はお見えでないんですね。
この倶楽部は、友人K氏が勤めていた、とある大企業の福利厚生用のクラブであり、友人のはからいでもう何年間も年に2回使わせてもらっている。新橋駅にほど近く、店の設えも、サービスも良いこの店はいつ来ても賑わっている。
友人は、
あの姫Tさんは、息子さんがようやく結婚するというので、その準備で忙しいそうだ。来年早々には新年会をやるからまたお願いしますよ。ママさん。
と応えて、追加のつまみを頼んだ。
それでね、と話の腰を折られた友人H氏が話を続けて。
カミさんが心配して、病院に行きましょうよ、というんだね。俺も、ボーッとしていながらも気持ち悪くなってさ、行ったんだ病院にね。そうしたら、突発性精神なんとかって言われてね、突然脳のある部分が活性化して混乱したんじゃないのだろうか、って先生が言っていた。その日は一日中ぼーっとしていたな。
それでね、翌日は落ち着いたので考えてみたんだが、さっきプログラムを作り始めたんだって言っただろ。あれが脳の働きを刺激させたんじゃないかと思っているんだ。プログラムを考え始めるとかなり集中するし考え込むしね。
けれど止めなかったよ。プログラムは。今も続けているんだ。少しは活性させ続けていた方が良いのかなと思ってるんだ。
するともう一人の友人、この店の主宰企業出身者K氏が言った。
俺もね、ネクタイがね結べないことがあったんだ。数日前にね。連れ合いに、結んでくれよと言ったんだけど、私にはできないって断られたんだ。結構難しいらしいね、反対からやるのは。でも30分位で記憶が、いやネクタイ結びだけの記憶だぜ、ようやく戻ったらしくって、するっと結べたんだ、自分で。


そんな友人達の話を聞きながら、俺にもネクタイが結べなかった瞬間があったことを思い出していた。その時は、頭の毛細血管に瞬間詰まったんだろうとゾッとした。
こんな話は、怖いばかりで先がないので、俺は話を変えてしまった。
要するにだ、俺たちはそんな歳だってことさ。元気が何より。
だから、今一番疲れているのは俺だから、この後の幹事は、Kお前が頼むよと、ネクタイ結びを忘れてしまった友人に幹事を振った。そしてな、お前は俺たちが先に死んだら墓守をしてくれよ。何しろお前が一番元気なんだから。頼むぜ。


全員同じ年齢の同級生なんだが、ネクタイ結びの友人Kが一番つやつやしているのは、確かだ。


Kは、ボソボソとつぶやいた。
死ぬと言えばな、俺が大型の貨物船に乗っていた頃、初めてSOSを受信したことがあったんだ。ちょうどその時は猛烈な嵐で、自船も高波を受けて幾つかの亀裂が船体に入って、どうやって進路を変えて嵐から逃れようかという時だったんだ。
SOSを受電した時のその時の相手の船舶との距離は、比較的近くではあったんだが、もう一隻より近い船舶が居てそれが救助に向かうことになった。
だが、自船もSOSを出そうかという時に、海岸局からの受電があってな、K先輩、頑張って下さい。ずっとワッチしていますから。って言うんだ。俺の専門学校の後輩だったんだが、涙が出てね。電鍵の手が震えてモールスが打てなかったことを覚えている。
何とか、船舶の亀裂は大きくならずに帰港できたんだが、一番の思い出だな。その時には、通信長と俺が最後まで残るからとやり合ってね、嫁さんも居ないからといって、俺が最後まで残ると言い切ったんだ。命のやり取りだよな。

Kの話を聞いて、俺も通信士に憧れて同じ高校に入ったことを思い出した。あのタイタニック号の沈没で通信士が活躍したことに感銘を受けて、通信士になろうと決めたことを。
。。。



以上は、自分の挑戦への助走のプロローグであり、明日からは通常のブログ内容となります。
皆さん、なんのことか分からないままの記述で申し訳ありません。