おはようございます。
本日の予報では晴れだったのですが、曇天のお天気です。少々残念。いやなに、何かをする予定を組んでいたわけではなくて、晴れの気持ち良さが欲しかっただけなんですが。


facebookを見ていたら、ポルシェに乗る人は長生きをする、という記事が引用されていた。どういうことかと言えば、緊張して運転すれば、脳の血流が良くなり長生きするという。
それは高速運転に限らず、日常の社会生活の中で緊張が続いていても同じなんだろうか。だとしたら、私も長生き出来そうな気がするね。かなり緊張の毎日を過ごしていますからね。
ただし、生来のB型体質が、自ら緊張を和らげる自己解凍作用を行っており、緊張には当たらないと本能が決め付けている場合はどうなんでしょうか。これは難しい問題だ(笑)。
しかしよく考えてみると、この緊張と長生きの間の論理は、次のような意味ではないかと思うな。
緊張感を楽しみに変えることができる在り方が、長生きにつながるのではないだろうかと。つまりポルシェの様な高速車で運転が好きな人は、結局スリルを楽しむ人だ。たまには、心臓が飛び出すような思いもするかもしれないが、それがまた高速運転の虜にさせるんだろう。
これを仕事に置き換えるとすれば、緊張の連続を上手くコントロールして、成果を収める毎日を楽しむ。まさにワークホリックの様なものだが、それを楽しめるか抑うつとなって自分を切り刻むかの違いなんだろうね。きっと。
自分が30歳台後半からモトクロスに熱中したのは、ある意味そんなことだったのかもしれない。上手く難関をクリアー出来て当たり前、失敗して転ければ必ずなんらかの身体的損傷が待っている、けれど毎週走り続ける。捻挫をしても、湿布してびっこを引いて出張し、御客に迷惑を掛けることも多々あったが、一番大きな怪我が膝の捻挫程度で済んだことは、いまから思えばついていたとしか言いようがない。現在も、強く踏ん張ると膝が外に抜けるという、膝の後遺症は残っているが。


1100現在。
朝日新聞のBeを読んでいてなるほどと思った言葉がある。それは、Likeは同質のものを求め合い、Loveは異質なものを求め合う、という言葉だった。何となく言い得ているよね。
毎週土曜に発刊される特別版のBeは、とても好きで、私は本誌はパラパラと見るだけだが、Beだけは熱心に読んでいる。特に休日の朝にぴったりな内容だね。
また昨日の記事で、官僚からリタイアして農業に関するNPO法人を立ち上げ、東北大震災の復興に尽力している人(大塚洋一郎氏60歳)の取材や、こんな時こんな本という本の紹介は良かった。
宮本輝さんの星々の悲しみ、辻村深月さんのサクラ咲く、清水玲奈さんの世界の夢の図書館、猪谷千香さんのつながる図書館は、何れも読んでみよう。


最近全く原稿を書く時間がないので、せめてこのブログにと思い、書くこと、イメージを描くこと、に執着してつまらないことでも書くことを続けています。読まれている人には申し訳ありませんね。


休日の朝に、カーテンの隙間から溢れる光の筋を見ていると、私は小学生低学年の頃を思い出した。博多の妙見という地で暮らしていた時です。
明け方になると、雨戸の節目というか隙間がピンホールカメラのようになり、天井の、これまた節目だらけの天板に不思議な模様が現れていました。その模様は、時には恐ろしく、またファンタジーのように綺麗なものでした。きっとこれが夜だったら、強い模様は寝ることを妨げたり、夢に見たりしたのでしょう。


当時は、TVはまだ存在してなくて、ラジオが朝からの友でした。彼の地では生まれてから小学生低学年までを過ごしましたが、記憶に残っているのは盛んに相撲や野球中継や落語を聴いていました。落語は特に毎日聴いていた気がします。学校が引けてからの神社境内の遊びは、缶蹴りや三角ベースの野球や相撲でした。集うのは、同級生と言うよりは、地区の少年たちの集まりでした。時代は街ぐるみに子供達の輪を存在させていたのでしょう。


1220現在。風呂上がり。
今日の湯船からは青空が望めず、やや暗い気持ち。
午後からは、ソイジョイの大量買いのために、近くのドラッグストアーに行く予定です。どの位まとめ買いするかは、置いてある物量によるのでしょうが、少なくとも1ヶ月分位の昼食に値する量でしょうか。つまり60本位でしょうか。半年は、賞味期限があるようなので毎月1回仕込みと消費を繰り返すことになりますか。それもまた、大変ですが。
我が家は、もう老老介護に近付いているようです。何しろ90歳を超えると老いていくのは当たり前のことです。また私達も70歳に近付いているので、自分の記憶の不確かさや忘れっぽくなったことを考えれば、現在の日本が抱えている一般的な縮図と言えましょう。
いま、TVで百年名家を観ています。毎日曜毎に楽しみにしている番組です。古い建物を訪ねて、どの様な工夫や配慮が在るのかを明らかにしていきます。いつぞや、飯塚の名家(NHKの朝ドラに登場)を観て、訪ねたこともありました。今日は、角川書店の創業者の居宅です。こだわりの名家と言えるでしょうし、創業者の心意気と時代を感じます。
私が時折夢に見る古い自分の家は、夢の中では非常に広くて、至る所にライブラリーが設えてある。流石に無線の機材は影も無く、本ばかりの隠れ家となっている。夢の中では、そんな奥に無限に長い別棟の部屋で、今や失った本に囲まれて冒険をしています。
もうそのような夢の様な家を、現実のものとすることはできないでしょう。精々夢の中だけで家造りを楽しむ事にいたしましょう。おもちゃ箱のような家がいいですね。
出来れば、京都の鴨川のほとり辺りで、ちょっと歩けば河原町、ちょっと歩けば八坂神社、ちょっと歩けば吉田山、ちょっと歩けば上加茂神社、毎日の散歩が楽しみです。お昼は、京大の古式なレストランでフレンチなんてね。夢のまた夢。


1520現在。
買い物から帰ってきました。行き帰りのドライブ、とはいえ精々15分程度の距離ですが、の途中で山里に咲く梅が一杯でした。多くの家の庭に、枝垂れ梅が綺麗に整えられていることに驚きました。
一方では、河津櫻も咲いており、広い公園に多くの家族が集まり、花見をしておりました。
豊かな春の恵みですね。幸せが大きかろうが小さかろうが、幸せとはこんな光景に確かにあるのです。大小とは本来無縁のものなのでしょう。


1950現在。
夕方、FAXがやって参りまして、まだ作業中です。恐らくは、本日積み残すと思われますが、最初に到着した分だけでも仕上げておきましょう。さて、就寝は何時頃になるでしょうか。
ブログアップはこれまでといたします。