おはようございます。
目覚めは快調です。
東の空はほのかに薄紫色に染まっています。きっと快晴なんですよ。
今日は集中して資料作成に取り組みます。夕方までには終えて夜は軽く一杯なんて状況になれるといいね。とにかく膨大な状況や経緯を数人の記録からまとめ上げることになるし、また表現もかなりデリケートなものとなるからね。


最近、文学全集で古いものを読み始めているが、そこで気がついていることは、すべての表現が一文の中に閉じ込められて、現代のような「」で行替えして会話を表すような文章ではないことだ。
いつ頃から、今の会話を独立させるようになったのだろう。
もちろん会話が独立していなくても、文体や表現で会話の状況に違和感を感じないのだけど。しかし、何故か重く暗く感じはするね。


10年前のきょうは、大阪に出張していたようだ。その夜、造幣局の通り抜けを見て一杯やったらしい。その桜の見事なこと、屋台の数と大きさに驚いたことは、今でも記憶に残っている。当時、出張での宿泊は京都が多いことも判明。今では土日が掛かる出張でもなければ、京都からの約1時間の通勤はしんどいね。京都そのものの風情は大好きなんだけれど。


今朝も三四郎を数頁読書。最終頁を見るとかなりの分厚な頁数です。一ヶ月以上はかかるでしょうね。けれど、往時の景色(本郷辺り)が身じかに感じられる。私はまだ三四郎池には行ったことがないんだよね。読了したら必ず行こう。彼の先生が控え室に入らずにいつもその池の周りをぐるぐる回っていたという。


2130現在。帰宅しました。
ちょうど良いほろ酔いです。明るい農村のバージョン違いで2杯だけ飲んで、つまみはカロリーのあるものを選びました。来週早々には千葉大健診があるというのにね。
久し振りに飲む焼酎は、喉から食道を通る焼けるような感覚が堪りません。ウヰスキーは大事な人と飲むときだけで、普段は焼酎か紹興酒です。ついこないだも、ウヰスキーを、時間がない中キュキュッと飲みましたが、美味かったですね。酒は飲む相手で選ぶのが私の流儀です。きょうは、一人ではありましたが良き酒でありました。まるで隣に誰かがいるような気分にて過ごすことができました。有難う。


あすは、もう仕事をする気は全くなくって、何年振りかの成田太鼓祭りに出かける予定です。人の背の何倍も直径のある大きな太鼓に向かう女性の打者の美しい姿が目に焼きついています。いつも、祭でお囃子を奏でる人、或いは踊る人に美しさで射抜かれます。不思議ですね。
風邪はきっと明日には退散しているでしょう。良き一日が成田山で過ごせますようお祈りして、本日の業務は終了いたします。
本日の車中読書は、福永武彦さんの世界の終わりを読了して、廃市に入りました。福永さんの作品は難解であります。少しずつ少しずつ読み進めてまいりましょう。焦ることはありません。