一人酒

時折一人で酒を飲みに行く。あるいは行きたいと切望するときがある。そのために店を探すなど面倒な事はしない。けれど馴染みの店があるわけでは無い。一人で飲みたい時は年に数回あるか無いかでしかないのでね。
いつかきた事のある店のひっそりとしたカウンターで、身を潜めて飲むだけだ。最近はそれでも紹興酒を飲みたくなるときが多いが、中華居酒屋と言えるような店は上野近辺にはあまり無く、ちょっとだけブラブラと探し回る事がある。
酒を飲みながら何かを考えているわけでは無い。フーッと酔えれば良いだけのこと。だから精々2杯ほどグラスを開ければちょうどの酔い加減となる。紅い酒紹興酒であれ透明な酒焼酎であれ黄金色の酒ウヰスキーやビールであれ、そんな量でしか無い。
煙草をくゆらしながら、店の喧騒に埋もれてあるいは流れている音楽にボーッとしているだけの時間でしか無い。恐らく考え事をすると、いつものように酔うことなしに何杯もグラスを重ねてしまうだろう。
最近は中華料理店でもジャズを流していることが多く、そんな時は指がテーブルの上で小さくリズムを刻んでいる。中国の歌も好きだな。意味は分からないけれど、広大な大地を朗々と感じさせる歌が。チェンミンさんの胡弓、京弓と言うのかもしれない、なんかが流れているともう嬉しくってたまらない。
北京の裏路地をさまよい歩く老師の姿、あるいは天山山脈を旅する三蔵法師を思うのだ。


1320現在。
三谷宏治さんの伝える技術を読了。これはエレベータピッチの資料として購入していた本だ。このテーマのまとめも進んではいない。三谷さんの本は、経営戦略全史やビジネスモデル全史を読んで、その分かり易さに惹かれて以来、新刊が出る都度読み続けている。伝える技術は、全史シリーズ以前の本だが、この内容も指摘は鋭い。今はやりのファシリテーターの役割りについても、なるほどとうなづける。会議の仕切り役とは誠にこのようでなければならない。日産のCFTについても記述されているが、そのリーダーの役割は、常日頃思っているプロデューサー力がなければ効果を発揮できないことがよく分かる。民主的に皆の意見をまとめて決断することが、CFTをまとめることでは無いのだということも。


1710現在。仕事終了。
これから新しい原稿に取り組んでみよう。
行き先はどのような展開になるかは全く不明だが、とにかく書き始めてみよう、執着もなくただ風が吹いてくるように。


1915現在。
仕事は新しい局面に入るが、それは明日の仕事にしようと思っている。
夕方から新たに原稿に向かうことを始めたが、並行して雑文集を読了した。この本は、実にみっちりという位に読んだかな。
原稿を書くことは、辛い苦役ではない。いわば楽しみに近いものなのだが、一旦手が止まるとウームと考え込んでしまう。自分にとって面白くなければ誰が面白いと思うだろうか。当人が面白いと思っても他人が面白くないと思うことの方が常である。
まあのんびりと取り組むことにしたい。