おはようございます。
よく寝ました。
千葉の朝は晴れです。からりとした快晴の青空でないのが残念です。久しぶりにハイビスカスが大輪を咲かせています。秋になってから毎日咲くことがなくなってしまいました。花芽はもう少し残っているのですが。しかし、今年はよく楽しませてくれました。


本日朝から朗報があり嬉しい気分です。先日も書いた、若い頃に大変お世話になった某大電機メーカーの宣伝部長が著した句集について、朝日新聞の取材を受けることになり、また書店にも置いてくれることになった、更に句集大賞にノミネートされている、との報告だった。嬉しさの声が弾んでいた。
あの日、鰻をご馳走になりながら、わずかにアドバイスをさせて頂いた通りの展開となり、自分もとても嬉しい。句集の内容がとても素晴らしいことがこの成果であると思う。私のさらなるアドバイスは、句集第二弾のために、今度は正規の出版となる様に、毎日創作を続けていただきたいということです。とにかく嬉しいね。


ジョブズの伝記は、昨日酔っ払ったためにまだ読了できていない。先ほど読んだ中に、これぞという言葉があったので引用したい。


iPad発表の折に、ニューズウィーク氏のライアン氏は、超がっかりな製品だ、とコメントしたが、いざ製品が発売されると、必要だと誰も思わなかったのに、ふと気づくとこれなしでは生きていけないと皆が思ってしまうガジェットを作り上げることにかけてジョブズは並外れた力を持っている。


これまでのジョブズがつくり続けてきた製品は、全てがこのコメントの評価に該当する。私にとってもiPadは、これがなければ生きていけない道具となっている。
MaciPodiPhoneiPad。このどれも、誰も想像しなかった製品である。決して、マーケティングから生み出されるものではない。
私は、この発想に敬服し憧れる。論評は誰にもできる。なんの責任も背負いはしないからね。
創造者との違いは真にここにある。これは技術と芸術が融合した中にしか生まれない。ありきたりの技術と機能をふんだんに盛り込めば新しい製品になると思っている様な製品づくりは、ジョブズの言葉からすれば、著しくつまらないものでしかない。文明、というと大げさだが社会を変える様な製品だけが、彼が言う製品創りへの執着と愛情なんだろう。


1430現在。
家の近所でやっているガス祭りというイベントに行ってきた。散歩や気分転換のつもりで、年2回ほどいつも訪れている。結局はガス器具の販促イベントなんだが、露店も出て団地の人たちで賑わっている。今日は、焼きそばとお菓子を貰い、義母が庭に植える花を買ってきた。もはやガス器具ではなく、家庭を見守る地域サービスを提供する会社に理解されている。


1620現在。
ジョブズの伝記を読了しました。最期のくだりでは涙がこぼれてしまいました。狂気とも言える激しい生き方をしてきたジョブズが、最期の最後まで製品に向かい合い、そして漸く家族や仲間への想いを語り、自身は痛みとともに日単位の余命を感じていた。
私とジョブズの関わり合いも、もう何十年にもわたる製品を使い続けていつも最高って唸らされ、都度に描かれる伝記を全て読み続けては来ましたが、この伝記を読み終えて、私のジョブズが逝ってしまった実感が湧いてきました。
この物語を教訓とし、激しく求める道を歩いて行きたいと思っています。イノベーションとは、これまでになかった感動的な製品を作ることの唯一一点であり、マネジメントや組織や教育やの変革ではないのです。