おはようございます。快晴の朝です。今日もたっぷりと寝ました。
朝から、床の中で里山、こころ、ひよっこ、こころ旅とゆっくりとした時間を過ごしました。
今日は、お昼前後から吉高の大桜を見に参ります。咲いているのか散っているのか何の案内も出ていません。ちょうど里山の景色の様に、ぽたぽたと畑の中を30分ほど歩いて大桜に出会います。休日は大変な混み様なので今日行ってきます。家からも車で30分ほどのところですから、そう疲れる距離ではありません。仕事が来ても、合間にお出かけという感じでしょう。
とにかくしっとりとした桜花に出会い、癒されたい気持ちです。


1007現在。
庭に向かってセザンヌの番組を見ている。時々居眠りがついて、首ががっくりと落ちるが、それでもセザンヌの執念が見続けさせる。
庭は、優しい光に照らされて輝いている。緑の葉が風に揺れ、光を撒き散らす。キラキラとようやくの春が巡ってきたのだろう。
のどかな時間である。貴重な時間でもある。
私には、この切り取りを絵に描くことはできないが、いまは味わうことができるようになっただけでも幸せなことである。


1907現在。
お昼前から吉高の大桜に行ってきました。行く道すがらから桜に出会い嬉しい散歩です。吉高の大桜は、立派に咲いていましたが、少し盛りを過ぎているようです。田舎道の歩きは充実感が無く、ぽたぽたとした病人歩き、いや老人歩きでした。やはり体調が戻ってはいないのです。と言うよりは、これ以上の復活はないという予感はしています。
立派な大桜を見上げると、涙がとめどなく流れてきます。これは悲しみのためではなく、眩しさのためだと思います。ぽたぽたと帰り道にも涙が止まりません。
ちょうど7年前のこのブログを見ていると、とめどない涙が溢れてと書いているではありませんか。画面を見すぎて、目が疲れての症状のようですが、最近の目の不具合は同じような原因でしょうか。
今日はよく歩きました。きっと今晩も良く眠れることでしょう。


2000現在。
あっという間に今日の一日も終わってしまいました。よく歩いたそしてよく寛げたリハビリの一日だったように思います。明日はまたよく歩く一日です。午後から成田山に向かいます。病気平癒のお願いと勇壮な太鼓打ちの姿を見てまいります。途中坂道や階段がありかなりのリハビリとなるでしょう。また腹に響くような太鼓の音は、ある意味自らの奮起と癒しに繋がるでしょう。
仲間が忙しく働いている時に、休んだり遊んだりしている多少の後ろめたさは感じますが、もうそんなことを気にする必要はない、という気持ちが強くなっています。ただ忘れてはならない気概一点さえ護れていれば。その気概だけのためにこの17年を過ごしてきたとも言えます。
私は、この会社に気概となる物語を語れる人が三人いると思っています。一人はご本人ですが、あとは私ともう一人です。私より語りは強いかもしれません。
私はこのことを誇りに思っています。人生の最後までAチームと共に居られたことを。しかし、結実しないことに焦ってはいません。まだもう少し溜めが必要なんでしょう。焦らないことです。惑わされないことです。信じる道をゆっくり歩むことです。必ずや道は開かれましょう。