頑固な若者

最近の若者は、と老人めいたことはいいたくないのだが、老人と同じように頑固な若者に出会ってしまった。
老人は、頑固であっても許されると思うのだが、頑固な若者には失望してしまうことのほうが多い。情熱に溢れて突っ走り、人の意見などを聞かないのは頑固であっても”頑固”という言葉より”一途”というように別の映り方をする。
だが、一見、人の意見を聞くような行動を何度もするのだが、それでいて最初から結論が出ている、そんな若者に出会ってしまった。お上手な頑固とでも言えばいいのだろうか。
情熱は充分に受け止められる。感じられる。だが何を相談したいのだろう。君の気持ちには、全くぶれることはないのだ。
何に躊躇しているのだろう、慮っているのだろう。もっと突っ走っていけばいいのに。
単に賛意を求めたいだけなんだろうか。それは甘えというものだ。
老人のほうが、それに対して情熱を持って反応してしまうものだから、逆に振り回されてしまうことになる。
滑走路ばかり回ってなくて速く飛びたて!空は何処にでも広がっているのだから。何処にでもいけるのだ。君が目指す方向には。


一方、情熱のない頑固にも遭遇してしまった。
人がどんな話をしようとしても、最初から君には結論が出ている。
老人は、お節介を焼いているのかもしれない。
少々のトライだけでそんなに失望しているなよ。始まったばかりではないか。
情熱はそんなに簡単に燃え尽きるものだろうか。ひょっとしたら情熱は最初からなかったんではないか。
悩む事はいいことだと思うが、君を見ていると悩むことに悩んでいるように思える。だから本質のところまで話が進まなくて、もういいからと話を打ち切ってしまう。誰も自分のことは分からないと。
君には、見るからに馬力のあるエンジンは搭載されている。それは見ていてよく分かる。だがどうしたことか、ガソリンが補給されていない。
テスト飛行で少々のガソリンで飛び、ガス欠を起こしたところで誰も君を責めたりしていない。
君はきっとガソリン食いなんだろうな。余りに早く飛び立ちすぎたんだろう。満タンになるまで待てばよい。
そんなことで頑固を言い張っているだけの君だったら、そこにある立派なエンジンはきっと張子のエンジンかもしれないな。