親父

自分にとって親父と思っている人が3人いる。
1人は真の親父。1人は義父。1人は前職の最後の社長である。
真の親父の話が、今日の主題である。
親父とは、生きている間中、いつも衝突ばかりしていた。今思えば可哀想なことをしたものだ。
親父は、92歳で亡くなるまで一度も会社勤めをしたことがない、独立独歩の人であった。
自分が小学生の頃まで、自転車屋から自動車販売会社まで成し遂げた人であったが、中学に入る前に倒産してしまった。
小さな心に、倒産して、家中の家財道具に、ペタペタと赤い差し押さえの紙が貼られて、情けない思いをしたことが鮮明に記憶に残っている。
そこから、発明家として92歳で死ぬ直前まで発明家として生きていた。生活はかなり厳しく、母親とのいざこざは絶えなかった。
息子というものは、どちらかというと母親につくほうであり、自分の場合も、母親と対立している親父が憎くて仕方がなかった。
よく考えれば、発明して大成功した事は一度としてなかった貧乏性の親父であったが、それでも飯は食えていたわけだからたいした者であった、と今は思っている。
しかし、発明家という、夢をくって、妄想の中に暮らしている、という親は大嫌いであった。どうせならちゃんと勤めるなりして、穏やかな暮らしを支えて欲しかったものである。
最後には、アルツハイマーにもかかっていたが、発明の妄想にもとらわれて、入院先の病院を抜け出し、自分の発明品の販売代理店を作るんだ、とかカタログを印刷会社に発注するんだといって、医者や看護師の人たちを困らせていた。
このエネルギーは、別の観点からは尊敬もするし、自分にもその血が流れているかと思うと、ゾッともするし、これまでの自分の人生を見るとそれが良かったとも思うことがある。
しかし嫌だった。
親父と喧嘩するときは、いつも発明したものを特許出願するといって聞かないとき、あるいはそれを事業化するといって他人に迷惑をかけるとき、であった。実に多くの人に迷惑をかけてしまった。
続く・・・・・