粉雪が 街の灯りを反射して 妖しく染め舞う 静かな夜。

5時起床。天気曇り。目覚め大いに眠し。
昨夜は、少々飲みすぎだったな。就寝後、気持ちが悪くなるところまではいかないが、なんとなくその前兆に目が覚めてしまった。
今日の予定も、夜の宴席があるので、程々に。

8マンさん。おはようございます。いろいろな面で奮戦されているようですが、是非戦い抜いてください。八千代会を楽しみにしているんです。


22時15分現在。帰宅。
きょうは、東京も粉雪だった。冷たい一日だったなー。
午前中には、新規事業でO氏に依頼していた事業案内のコピーのプレゼンがあった。ほぼ完璧であろう。誰がこんなコピーを書けるというのだろうか。率直に人の才能を感じる、そんな自分でありたい。とても自分には書ける言葉ではない。自分の才能を振り返ってチェックしてみれば、直ちに分かることなのだ。本日感服。
午後からは、本郷にて技術者の面接のオブザーバー。
夜は、D経営者クラブの賀詞交換会パーティ。かなりのお客様で一杯だった。数人と名刺交換してきた。


8マンさん。今晩は。
私の心も、時折今日の粉雪のようにチリジリに舞ってしまいます。そんな時のブログは重い言葉で現れています。けれども正直に揺れていることを、内容は別にして、表すようにしています。
何時でもここに書き込んでくださいね。

今日の帰りの電車の中、”絢爛な鷺”を熟読。
少し歌舞伎というまだ見たことのない世界に関心を寄せ始めている。小説と戯曲、あるいは歌舞伎のような”型”という様式美、謡曲と舞踊。いろいろとまだ感じたことのない世界への”夢枕獏”さんの挑戦と悩み、あるいは感動が伝わってきている。

今日はバスの中で、全く別のことも突然考え始めた。”涙”についてだ。
清流のような涙を流すことも、溶岩のようにたぎる涙を流すこともある。最近富に涙することが多い。
人間が枯れてきたからであろうか。枯れ果てて命尽きようとする前兆であろうか。それともまだ残されている沸々とした青春の思いだろうか。
突然、怒涛のように流れ出すことがある。思いは後からやって来る。
人の優しさに接した時や、人の悔しさを感じた時に溢れてくる。
最早自分の悔しさに涙することはほとんどない。未熟さに、青いなと感じるだけである。大事にならないのは、それだけ恵まれているんだろうな。幸せなんだろうな。
涙を流す事は、恵まれているんだと思うことにしている。