君の瞳は 百万ボルト 実感。

19時現在。帰宅しました。
昨夜、大いに騒ぎたい気持ちはあったが、結局自分の別の気持ちも裏切りたくなく、ひっそりと過ごすつもりで会社を出た。自分には、そして大切な人には決して嘘をつきたくないし正直でありたい。それを除いての自分はあり得ない。少々意地っ張りが災いするが。
初天神にお参りをして頼まれた本を旭屋さんで探すも品切れ状況。がっくり。
ホテルに帰り疲れもあったのだろう、たった一杯のビールですぐさま寝込んでしまった。爆睡と言えるだろうか。
今朝も約束の時間にギリギリのところで目が覚め大慌て。ブログを書く時間もなく現在に至っている。


13時に新横浜でUさんと逢うことができた。
半年前と変わらない戦友の元気な顔を見て大いに安心した。お土産までもらって恐縮だ。
こちらは約束を守れず、本を届けることができなかったというのに。
昼食を含め3時間ほど過ごしたが、相変わらずのキラキラした瞳の輝きには、吸い込まれてしまう。
一人で故郷を離れ、アメリカまで行き来するのだから疲れも苦労もあるのだろうが微塵も感じさせない。励ますどころではなく、逆に元気を貰ってしまった。おかげですっかり自分の気持ちの切り替えもできたようである。
1月には再び渡米するとのことだが、その間に都合が合えばもう一度逢いたいと思っている。
およそ1年半前にUさんが博多の店を閉じて上京した。その時に、その瞳の力強さに魅了されて創った詩歌が”あなたの瞳”というものだった。
http://d.hatena.ne.jp/tanik/20090720#1248055134


本日の車中読書は”中原の虹2”を読了。感動している。現在4巻まで調達しているが、それで終わりかどうかは不明だ。
文中に、西太后に廃嫡される皇帝(前に詩歌で取り上げた珍妃の夫)の言葉として”愛されることが幸せではない。愛することだけが人の幸せだ”という言葉があり、ジンと来てしまった。
もちろん物語の流れの中の言葉だから、ここだけを切り取っても伝わらないかもしれない。ここで言う愛とは、情愛の愛でもあるが見守る愛もある。見返りなど求めることのない親の愛、皇帝が思う民草への愛がそうであろう。
そんな言葉を噛みしめながら、幾分かでも愛することで幸せを感じるようになれれば、と思っている。
自分の心が過敏なために様々なことに揺れてしまう。しかし鈍感で感じない事よりは遥かにいいと思っている。
この感受性を持ちながら、”愛することだけで幸せを感じる”ことができる心の広さと強さを持ちたいものだ。


21時半現在。寛いでいる。
のぞみの中でも、東京駅からユーカリが丘までの直行バスの中でも居眠りをしたためか、はたまた昨日の爆睡のせいか、とても元気だ。疲れは感じていない。
明日は天気が良ければ散歩に出かけよう。この気分だと、ひょっとするとキーボードの講座受講を申し込むかも。
このお正月にmagoさんとセッションしたいものである。現在、家には甥っ子の電子ピアノと記念歌で使ったキーボードの2つがあり、セッションには十分である。
来週には、義母が京都からやってくる。再び賑やかな毎日が訪れる。お互いに全く気を使うことなく、家族そのものであることが嬉しい。


22時50分現在。
父の命日以来、母のことをずっと考えていて、漸くきょう、詩歌を創り上げることができた。